Content Collection Content Collection

維新の「志」コンテンツコレクション

シーズン1 第1回 鍋島直正

2016年9月14日放送

 

マスター:ああ富田さん。また、いらっしゃいましたね。

富田さん:ああ、マスター。もう夏休みが終わったと思ったら、僕たちより学生さんたちが何やら忙しそうですね。

マスター:ええ。はい、いつものWISEブレンドです。

富田さん:頂きます。

マスター:まぁ確かに、秋は文化祭やら体育祭やら、行事が多いですからね~。

富田さん:うん、そういえばマスターの高校時代って?

マスター:あの当時はこうみえて、リーゼントにしていたんですよねぇ。

富田さん:(笑う)

マスター:いまからは想像つかないでしょう?

富田さん:全然つかないです。

マスター:えっへっへっへ…。

富田さん:
もうマスターがリーゼントでキメッキメにしてた高校生の頃、佐賀藩の歴史上の中では、高校生にあたる年代の頃からもう、メキメキ頭角を現して、活躍した人たちがいるんですよ。

マスター:ほぉーう?

富田さん:何と言ってもその代表格が、鍋島直正公です。

マスター:あの方は何代目の佐賀藩主になられたんでしたっけ?

富田さん:
直正公は、10代目の佐賀藩主なんですよね。この方、数え年で17歳で10代佐賀藩主に就任されてるんですよね。
若い頃から将来の藩主としての専門のトレーニングを受けてきて、その後48歳で隠居するまで約30年間、藩主を続けるんですけど、その時代というと、外国の船が次々姿を現して開国を要求する…そういった緊張感のある中で佐賀藩は“長崎の港の警備”という大任を幕府から任されてたんですね。
そういった中で外国船が、日本の船とサイズからしてもう全く違う巨大な威圧感と共にやってきます。
我が国、佐賀藩も、それに対抗するにはどうしたらいいか。
直正公の時代にやったのが「同じものを造ろう」って言うんですね。
まず鉄製の大砲を作るために造った施設が「反射炉」です。

マスター:ええ。

富田さん:
そして、日本では初めて鉄製の大砲造りに成功します。
それからもう1つ、蒸気船。これも外国から購入したり、2015年、世界遺産になった三重津海軍所跡ってありますけど、あそこで、日本で初めての実用的な蒸気船の建造にも成功するんですよね。
         

マスター:う~ん。

富田さん:
いずれもこの日本初の事業、直正公といえばこの「大砲造り・船造り」がまず出てくるんですが、直正公はリーダーですから、技術者でもなければ科学者でもないんですよね。
船を造った、大砲を造ったそのものというよりも、むしろ藩主として、リーダーとして部下たち、藩士たちの、心をどう掴んで動かしていったかという、そこが藩主直正公の魅力なんですよね。
幼少期から、藩主専門のトレーニングを受けてきた1つの中に佐賀藩を作った戦国時代の「鍋島直茂公」という佐賀藩祖と呼ばれてる方いるんですけれど、彼が残した言葉を学んでいるんですよね。
その一つにこういうのがあるんです。「人間というのは下ほど骨折り候ことよく知るべし」組織の中で一番底辺で、汗をかいて働いている人たちこそ一番上に立つ武将は気にかけないといけないんだ、という。
それを実践したエピソードが長崎警備の中で残っていまして、佐賀藩が反射炉で大砲を造ってそれを長崎の台場に据え付けるんですよね。
 

マスター:ええ。

富田さん:
そして間もなく、ロシアの軍艦が長崎に来るんです。
日本としては大事な交渉ですから、江戸から長崎の現場まで役人が実際にやって来て、ロシアらと交渉するんですよね。
そういった中で直正公は2つのことを耳にするんです。
1つはロシア船が、佐賀藩が沿岸部に造った台場とその大砲に非常に萎縮していたらしいぞ、ということ。それから、今回ロシア側と交渉するために江戸からはるばる長崎にやってきた幕府の役人が、その台場の様子を凄くお褒めになっていたということ。この2つを聞いた直正公は、すぐに長崎警備の担当主任を呼び出します。
そして「今からすぐに、台場の現場で貼りついて警備を続けている人たちのところに行ってこの2つのことを伝えてこい」と伝令を出すんです。
あの幕府の役人も褒めてくれていたということと、外国に対しても自分たちがやってることが効果のあることだという、その実感が得られますから。そういう意味でモチベーションを高めたんです。
まさに「下ほど骨折り候こと」、よく知っている直正公だからこその指示ですよね。

マスター:うわぁ…。(感心の声)

富田さん:佐賀藩といいますと、三十六万石という大きい生産額を持つ大大名と呼ばれる大きな藩ですけれども。

マスター:うん。

富田さん:
その中には、藩主の鍋島家だけではなく、たくさん鍋島家の分家があるんですね。
それぞれがこう独立して、自分の所領や、武力も持っているんですよ。
でも、そういうバラバラな佐賀藩だと、こうした日本初の大きな事業に取り組みにくいですよね。そこで、直正公が数十年ずっと言い続けたのが、色々な分家があるけれども、全ての分家にとっての“共通”の祖先というのは佐賀藩を作った初代藩主の鍋島勝茂公、そして戦国武将がそのお父さん直茂公ということなんです。
     

マスター:うん。

富田さん:その2人の時代に戻ろうというのを言い続けるんですよね。

マスター:(相槌)

富田さん:
まず、ALL佐賀藩という組織の力を、ベースを高めた上で、新しい取り組み、つまり、蒸気船造りや大砲造り、これに向かっていったということなんですよね。
新しい明治政府を中心にした新しい国家の始まりにも繋がっていくような、そういう一体感を佐賀藩が幕末に作っていたということですね。
   

マスター:今でさえ、みんな…。

富田さん:
「俺たちはサガンだ!」と。こう、自分たちを鼓舞するようなフレーズは私も大好きなんですけれども…。こう「SAGAN」とアルファベットで書くと五文字ですよね。S・A・G・A・N。GAとNの間に二文字「HA」っていうのを入れると「We are SAGAHAN」になるんですよね。

マスター:それ、どんどん推してくださいよ。

富田さん:「はい。マスターも是非使ってください。

マスター:何なら今日から使わせていただきます。

富田さん:
「はい。あ、いけない。もうこんな時間だ。
じゃマスター、コーヒーご馳走様。

マスター:はぁい、ありがとうございました~。