シーズン1 第2回 佐野常民
2016年9月21日放送
マスター:ああ富田さん。また、いらっしゃいましたね。
富田さん:
ああ、どうもマスター。今週は、祝日が飛び飛びだから、もうなんだかペースが取りにくいですし、昼と朝晩の気温差…。マスター体調とか崩していませんか?
マスター:今のところ大丈夫ですねぇ。
富田さん:健康診断とか、行っていますか?
マスター:まぁ、体が資本な仕事ですからねぇ…。毎年ちゃんと行っていますよ。
富田さん:お、偉い。
マスター:はい、いつものWISEブレンドです。
富田さん:
頂きます。
日本の医療といえば、佐賀藩の歴史を見た時に、この人の功績を外す訳にはいきませんよね。
マスター:おっと、来ましたね?どなたですか?
富田さん:「佐野常民」
マスター:あの、「日赤(日本赤十字)」を作った方ですよね?
富田さん:そうです。ただ実は、それだけじゃないんですよ。
マスター:おおー。
富田さん:
元々生まれ育ったところは、佐賀市の現在の川副町。
そして、11歳の時に佐賀の町に出てきまして、医者を志望して、医者の養子になるんですね。そのお医者さんの家が「佐野家」 で、やがてあの藩主の直正公に才能を認められて、江戸・大阪に留学するんですね。佐野が江戸・大阪の留学から戻ったのが30歳の時。 ただ、その時1人で戻って来ずに、色々な人物を佐賀に連れて来るんです。蘭学者や、科学者、技術者…。
その中の1人が久留米出身の田中儀右衛門という人物がいるんですけれども…。彼は、あのからくり人形などを作るのが得意な技術者なんです。 後に、二代目儀右衛門と呼ばれる方が、東京芝浦製作所という会社をつくりまして、それが後に「東芝」になっていく。そういうルーツになる人物を、佐賀に連れて来たんですね。
目的はやはりヨーロッパの本の翻訳をしたり、その本を基に科学実験とか蒸気船を造るための研究、そういうのを進めるために連れてきたんですよね。
その研究をやる部署が「精煉方(せいれんかた)」と呼ばれる部署で、これは時の藩主・直正公の指導で設けられた部署なんです。佐野はそこの主任に抜擢されるんですね。
マスター:ほーう。
富田さん:
ただ、やはりヨーロッパの本を自分たちで翻訳して読み解いて、そこに書いてある物を製造していくというのは、至難の業なんですよね。
そこからなかなか、研究成果がすぐには上がらず、しかし人件費はどんどんかかりますから、藩内からは、その経費節減のために 精煉方の部署自体をもう廃止した方がいいという、廃止論まで起きるんですよね。
しかし、海外に対抗する必要性を強く感じていたのは、藩主の直正公。
直正公は、この精煉方というのは俺の道楽でやっているんだからお前たちが制限するんじゃない、と言って、強くこの精煉方での研究を継続させたんですね。
その研究成果が、三重津海軍所で日本で初めての実用的な蒸気船「凌風丸(りょうふうまる)」の建造に成功する、という形に結びつくんですよね。
マスター:ほぉーう。
富田さん:
しかもですね、46歳の時には幕府が初めて参加した「万国博覧会」がパリで開かれるんですけども、その時に佐賀藩も単独で参加してる。
そのリーダーも佐野常民だったんですね。
マスター:ほう。
富田さん:
あの、若い時に大坂・江戸まで行って学んで、それをこの万博に派遣されたことをきっかけに、実際に自分の目で、生の西洋の状況を見たことで、机の上の知識を生きた知識に、彼は変換出来ているんですよね。
例えば明治政府として初めて参加した万博は「ウィーン万博」なんです。
佐野は幕末にパリ万博にすでに行っていますから、その経験が買われて政府の万博の副総裁に任命されるんですね。
マスター:ほぉー・・・。
富田さん:
ちなみにその総裁はというと、同じ佐賀出身の大隈重信なんですね。
苦い経験も最初のパリ万博で味わっていまして、佐賀藩の特産品を海外に売り込むためですから、有田焼を持っていくんですね。
ところが、大量に万博で売れ残ってしまうという経験を味わうんですよ。
ですから、二回目のウィーン万博では、まず焼き物を素焼きの状態で窯元から東京に全部集めさせて、海外の好みを知ってる「万博事務局」の管理の下で、 西洋人好みの絵付け、デザインを施すという、そういう方法を取ったんですよね。
マスター:はい。
富田さん:自分の目で初めて見た経験を活かして、日本の工芸品を西洋に受けるようにアレンジしていく、やはり、その対応力が彼の魅力ですよね。
マスター:なるほど。
富田さん:
そして、日赤の創設者として有名ですけれども、彼が日本に赤十字をもたらそうと、世界ですでに行っていた赤十字の活動を知ったのも、やはり実際に海外に万博で行ったのがきっかけだったんですよね。
対応力、そして、それをアレンジしていく、やはりその功績のマルチさ、変化への対応力というのがとにかく抜群なのが、この佐野常民ですね。
あ、マスター、今日も長くなってしまってもうこんな時間だ。
じゃ、コーヒーご馳走様でした。また来週。
マスター:ありがとうございました~。