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維新の「志」コンテンツコレクション

シーズン1 第3回 島義勇

2016年9月28日放送

 

マスター:ああ富田さん。また、いらっしゃいましたね。

富田さん:
ああどうもマスター。
あれ?今日は何磨いているんですか?いつものグラスとは違いますよね。

マスター:ああ、これですか。これは数年前に北海道旅行に行った常連さんからいただいた熊の木彫りの人形です。

富田さん:熊の木彫りの人形ですか。

マスター:そうなんですよ。大事にしてましてお気に入りです。

富田さん:ああ、だから磨いてるんですね。

マスター:ええ。

富田さん:でもマスター、北海道といえば佐賀藩の歴史とも縁の深い、この人の功績を外す訳にはいきませんよね。 

マスター:おっと?今日も来ましたね。 

富田さん:はい。

マスター:どなたですか?

富田さん:その人物が、島義勇。

マスター:前回お聞きした佐野常民さんと、同じ時代を生きた方ですよね。

富田さん:そうです、歳も全く同じなんですよね。

マスター:へぇー。

富田さん:
やはりこの時代、欧米諸国の開国の要求、その脅威を感じていた幕末。
アメリカのペリーとか有名ですけども、実はロシアもどんどん勢力を広げて南の方にやってくるんですね。

マスター:うん。

富田さん:
勢力を南に延ばしたその先にあるのが、蝦夷地。今の北海道なんですよね。
そこで時代が明治になりますと、明治政府はこの蝦夷地を開発していくための特設部局「開拓使」という役所を設置するんです。
その長官に任命されたのが元・佐賀藩主だった鍋島直正公。そしてその下で開拓使の職員になったのが、この島義勇なんですよね。

マスター:ええ。その島の実際の任務はどういうものだったんですか?

富田さん:
長官である鍋島直正公は、東京に居て現地には赴かないんですが、実際に現場の指揮をとったのが島義勇。 彼は北海道を開拓する上で拠点となる新しい町を作る必要があるということで、広大な土地の中から交通の利便性も考えて選び抜いた新都、新しい都の建設場所が今の「札幌」なんですね。

マスター:じゃあ、あの札幌は、佐賀出身の島が作りあげたと言っても過言ではないと。

富田さん:そうなんですね。

マスター:その使命を終えて、やはり佐賀に?

富田さん:
はい。佐賀には戻らずに、今度は2つめの仕事。今でいうと県のトップは知事ですけども、この時期は権令とか県令と言っているんですね。その秋田の県令に任命されるんです。
最初の頃は東京の中にある、秋田県の出張所に勤務していたんですが、やはり現地に赴かないと、現地の実状も分かりませんし、課題も分からない。
そういうことで、今度は実際に秋田にまで島義勇は赴任するんです。

マスター:ほぉー。

富田さん:
あ、秋田といえば 北海道と似ているところもありまして、やはりロシアの脅威を感じる日本海側に位置しているということなんですよね。
そこで海の物流を発展させるための港湾建設を提唱したり、後は、先進的な医療が不十分だった秋田で、医学教育の充実を提唱しているんですね。2つとも結果的には、実現しなかったんですけれども、現地で具体的な対策を練っているんですね。

マスター:全身全霊で、その場所、土地をいいものにしようと…。

富田さん:
北海道も秋田も両方とも、佐賀からも遠いですし、東京からもまた遠く離れたこの地方に、実際に赴任した中で、島は東京みたいな街のコピーを作る訳でもなく、自分が生まれ育った佐賀みたいな町を各地方に作ろうとしたのでもないわけですよね。
やはり各地方特有の地位的な条件や、人々の暮らしを向上させるもの。それを察知してその土地に根差した必要な政策を彼はどんどん進めていったという意味で、土地への適応力というのが彼の魅力ですよね。

マスター:そりゃもう各土地土地で。

富田さん:はい。まさに喜ばれたというのを示すのが、北海道神宮という大きな北海道の神社があるんですけれども。

マスター:はい。

富田さん:そこ(開拓神社)の御祭神の1人になって、神になっているんですよね。

マスター:へぇ~。

富田さん:
遠く離れた北海道で、佐賀出身の男が、明治初期を駆け抜けたということですね。
あ、すみません。
僕も駆け抜けなきゃ、もう時間がない。じゃ、マスターご馳走様!
それじゃあまた来週!

マスター:あらあら、相変わらずお忙しい人だ。またの御来店、お待ちしています。