シーズン1 第4回 副島種臣
2016年10月5日放送
マスター:
ええ、ええ、ああ。じゃあ、お願いします。はい、はい。失礼致します。
やぁ、富田さん。またいらっしゃいましたね。
富田さん:マスター。その黒電話、まだ使えるんですか!?
マスター:
ええ、ボクの通信手段はここ40年、この黒電話だけですよ。
これで十分事足りますし、丈夫だし・・・。
はい。いつもの「WISEブレンド」です。
富田さん:いただきます。
マスターは伝統を重んじるタイプかぁ。
佐賀の歴史上、伝統を重んじつつも新しい体制に柔軟に取り組んでいったといえば、この人は外せませんよね~。
マスター:お、今週も来ましたね。誰なんですか?
富田さん:副島種臣です。
マスター:副島種臣っていうと、気難しい学者タイプの人物という印象がありますが・・・。
富田さん:
確かに副島は父親が藩校の先生、お兄さんも学者という家庭環境に育ちました。
お父さんやお兄さんは「日本一君論」という考え方を持っていたんですね。
これは、天皇以外に君主はいないという考え方です。
そういった影響もあって若い頃の副島は、天皇が自ら政治を司っていた頃、つまり、古代日本の書物、古事記や日本書紀、ああいうのを読み漁っていたんですよね。
マスター:ほぉう。
富田さん:
マスターも知ってのとおり、江戸時代は京都に天皇はいらっしゃるけれど、政治の実権は江戸幕府という武家政権が握っています。
そんな時代に「天皇がワントップだ」という考え方を教え込まれたんですね。
マスター:そして、明治維新を迎えるんですね。
富田さん:
はい、副島はまず新政府の組織体制とか、最も基盤となるルール作りの分野を手掛けます。
明治政府は、天皇が自ら政治を行う天皇親政(しんせい)という古代日本のスタイルをお手本にしていましたから、古事記や日本書紀などを熟知している副島が活躍したんです。
副島はこう言っています。
「政治や行政を行う者は、まず歴史を勉強して基礎を築くべき。法律や経済の知識や頭脳だけで何とかしようとしている者は、いかにも物足りない」と言っているんですね。
公家出身の岩倉具視や薩摩出身の大久保利通など、新政府のリーダーたちも新しい憲案を立案する時、歴史上の古い事例に照らし合わせる必要が生じた時には、いつも副島を頼みとして、重宝していたと言われているほどなんですね。
マスター:その時、その「時代錯誤」などといって、ディスられたり(「批判されたり」の意)しなかったんですか?
富田さん:
いやいや。副島は、歴史を重んじるからといって、現代社会の問題に疎かったわけではなかったんですよ。
例えば岩倉使節団が海外に行く時の団長・岩倉具視の後任として、副島が外務大臣にあたる外務卿になるんです。
副島は外務卿時代に、東京で牧場を経営して外国人に肉料理をふるまっていたと言われているんですね。
マスター:へぇ~。
富田さん:
これは、日本に駐在している公使などとの距離を縮めるための、外交手腕の1つをそうやって発揮しているんですね。
そういった外交官としての、社交術にも長けた副島。
ただ、外務卿を辞めた後は、日本の歴史や中国の学問に詳しかったので同じ佐賀出身、大隈重信の推薦によって天皇の家庭教師役にあたる侍講(じこう)という役職に就任して、火曜日には天皇陛下に、木曜日には皇后陛下に講義したそうです。
マスター:はー、すごいことですね~。
富田さん:
ただ、副島が先生役という立場から理想的な考え方を陛下にお教えするだけなら良いんですけれども、この理想論を世間に向けて発信して、今の政治を批判しようものなら政権運営サイドにとってはたまりませんよ。
そこで薩摩出身者から「副島を辞めさせろ」という排斥運動が起こるんですね。
結局、副島は辞職して佐賀で隠居生活を送ろうと、意向を固めます。
そんな時、天皇から「今後も家庭教師役を是非あなたに続けてほしい」という手紙が届き、辞職を思いとどまります。
副島は78歳で亡くなりますけれども、葬儀の際には、生前に希望していたとおり、その棺は力士20人によって担がれ、祭祀料・お祀りのための資金として天皇・皇后両陛下から、御下賜金まで与えられたということなんですね。
マスター:ほぉー…。トラディショナルとニューウェーブ、両立出来た方と…。
富田さん:
副島は、幕末から明治に上手く波をつかんだ方だったんですよね。
あ、スマホにLINEが来ている!
じゃあマスター、ご馳走様。
マスター:
あ、は~い。え~御来店ありがとうございました~。
う~ん、私もせめて、ポケベルぐらい、持とうかなぁ・・・。