シーズン1 第5回 江藤新平
2016年10月12日放送
マスター:やぁ、富田さん、そろそろいらっしゃる頃だと思っていましたよ。
富田さん:マスター、最近忙しくて、ここに来る時間を絞り出すのも結構大変なんですよ。
マスター:
う~ん、でも「時間は作るものだ」って言うじゃありませんか。
はい。いつもの「WISEブレンド」です。
富田さん:
お、いただきます。
あ、そういえば佐賀の偉人の中にも、効率性やスピード感、時間を上手く作り出して活躍した人物が居るんですよ。
マスター:お、今週も来ましたね。誰ですか?
富田さん:江藤新平です。
マスター:江藤新平といえば、法律系の方ですよね。
富田さん:そうです。今でいう法務大臣。初代にあたる「司法卿」という役職についた人なんですね。
マスター:ほぉ~。例えば幕末期は何をしていたんですか?
富田さん:
はい、司法卿になるまだ前、幕末の江藤は、まだ若いですから、政治的に藩を動かす役割を担っていたわけでもなく、かといって、思想的にやみくもに走り回った過激な幕末の志士でもないんですね。
ただ、京都周辺の政治状勢を探る目的で脱藩さえするほどの行動力のある人物だったんです。
京都では、あの木戸孝允とも出会って情報収集までやっているんですね。
同時に若い頃は、佐賀で枝吉神陽という先生から古代日本の法律や古事記などをしっかり学んでいたんですね。
マスター:そして、時代は維新を迎えるわけですよね。
富田さん:
はい、武家時代が終わって新しい政治体制にするため、明治政府は、古代のような天皇中心の国を目指します。 幕末に江藤が学んでいたことは、まさに古代日本の法律や政治の仕組み。それがここで活かされてきたんです。
マスター:ほう。
富田さん:
最初は、幕末から学問優秀で知られていた同じ佐賀の副島種臣が、国の法律作りの先頭に立ってたんですけれども、彼が次第に外交問題を担当するようになりましたので、江藤に法律作りがバトンタッチされる…。
そういう佐賀の人脈というのが、明治政府内にあったんですね。
マスター:でも、簡単には行かなかったんでしょうねぇ。
富田さん:
これが難しいんですよ。
当時まだ日本には、今でいう“民法”に相当する法律がないんですよ。そこで、フランスの民法を翻訳して参考にしたんです。
でも、法律というのは、その国の慣習や風土によって長い時間をかけて作られたものですから、翻訳する上で、なかなか理解のできない考え方もたくさん出てくるんですよね。
でも、その時江藤は、翻訳の担当者に「誤訳も妨げず。ただただ速訳せよ」と命じたと言われています。
合理性と効率性とそしてスピード力、 これでもって明治新政府の下支えになる法律作りをガンガンやっていったんですね。
マスター:まぁ、かなりバランス感覚にも優れていたってことなんですかね?
富田さん:うん。例えばですね、明治時代の三大ジャーナリストと呼ばれる一人に、徳富蘇峰という方がいるんですけれども。
マスター:はい。
富田さん:
彼が明治国家に関する歴史書を書いていますが、江藤についてこう言っているんですね。
「江藤は大隈の才なく、副島の学なく、大木の智慧なきも、この三人の企ての及ばざる機略の持ち主である」
つまり才能や人間力の大隈重信、学問に秀でた副島種臣、智慧にたけた大木喬任。
この3人に対して、江藤新平は機転の利く敏腕な実務官僚肌の有能な人物だ、と評価しているんですね。
マスター:へぇー。
富田さん:
翻訳作業でも、誤訳をいとわずスピード力を求めたように、とにかく合理的で効率的に物事をスパスパっと裁いていく。 そんな江藤について先輩にあたる副島種臣も「勇気を基本として、そこに知恵の知を加えた人物」だと語っています。
勇気や行動力があって、そこに知略や機略を兼ね備えてるからこそ、的確に物事を判断して、ガンガン進んでいく、そういうイメージなんですよね。
ただ、江藤は、男の情にも深い人物でしたので、政府に対して不満をもっていた弟子たちのために、東京から郷里佐賀に戻って、最期は佐賀の乱で処刑されてしまいます。
私たちも普段、仕事・勉強するうえで常に、肩の上に「ミニ新平くん」が乗っかって手元の動きを見られている。
そんな気持ちで仕事・勉強に向かえば、効率的に裁くことが出来て自由な時間もたくさん作ることが出来るかもしれませんね。
かく言う僕も、自由時間があまりないんで行かなきゃ。
マスター、ご馳走様でした!
マスター:あらあら、相変わらずお忙しい人だ。またの御来店、お待ちしています。