シーズン1 第6回 大隈重信
2016年10月19日放送
マスター:やぁ、富田さん、またいらっしゃいましたね。
富田さん:あぁ、マスター。ここに来ると本当に、落ち着きますねぇ。
マスター:
ありがとうございます。
宮仕えも大変ってとこですか?
はい。いつもの「WISEブレンド」です。
富田さん:
あ、いただきます。
そういうマスターこそ「脱サラ組」なんでしょ?
マスター:あぁ、そうですね~。サラリーマンもやっていましたし、こう見えて、ラジオやTVの仕事もしていたんですよ。
富田さん:
へぇ~。いろいろやってたんですね~。
あ、佐賀の歴史上、幅広い分野で実績を残した人といえば…。
マスター:お、今週もきましたね?誰なんですか?
富田さん:大隈重信です。
マスター:大隈重信は、早稲田を作った人物ですよね。
富田さん:
そう。一般的には「早稲田大学の創始者」として知られているんですけれども、でもそれは彼の功績のほんの一部なんです。
総理大臣を2回のほか、実は外務大臣に至っては5回も経験しています。
マスター:へぇ~。
富田さん:他にまたマイナーなものとしては「文明協会」の会長とか、南極探検隊の後援会長にまでなっているんですよね。
マスター:ほぉ~。政治に教育に文化、南極探検・・・。これ、関連性って?
富田さん:
身分制の江戸時代が終わって明治に入ると、憲法によって国民一人一人は、自由で独立的な立場をとれるようになります。 でも国民は権利を得た一方で、自分たちで今後の政治の行く末を考えていく義務が発生したんですね。
そこで国民たちは、議会って何?とか、それぞれの政党の主義・主張の中身などをしっかり理解しておく必要がでてきたんです。
そこで大隈は、憲法を作ったり、議会政治のシステムをスタートさせたり、そういう政治家としての枠組みを作るだけでは足りないんじゃないかと考えたんですね。
マスター:ほう。
富田さん:
そこで国民の教育に力を入れたんです。つまり大隈の中で、政治と教育っていうのは全く別々の取り組みではなく、深く結びついてる一体的なものなんですよね。
しかも、その教育を、公のものではなく、早稲田という私立学校として国から独立した形で進めていったんです。
マスター:なるほど。日本という国も、大きく変わっていった時期ですよね?
富田さん:
幕末には外国と結んでいた不平等な条約の内容を明治になって修正する交渉にも成功しますし、日清・日露戦争では、中国・ロシアという大国との戦争にも勝利します。
そこで国民たちは「日本はいよいよ、軍事的にも一等国の仲間入りを果たした」と酔いしれてちょっと浮足立つ、そういう時期が来るんですね。
マスター:はいはい。
富田さん:
その時、大隈さんは、国民に対して日本という狭い島国だけを見てはいけないと言うんです。
「世界の中の日本」という自覚が必要だと説いて、文明協会というグループを作って自ら会長となり、世界の事情や世界と日本のつながり、そういうのを広く国民に紹介していったんですね。
マスター:う~ん・・・まぁやはり我々凡人とは、視点が違っていたっていうことですね~。
富田さん:
大隈は、政党や、対面してる外国といった、目の前の課題と取り組みつつも、もう常にその背後にあるもの、あるいはみんなが気付いてない、ちょっと先の未来、そういうものに目を向けていた人なんですよね…。
そしてもうひとつ大事なことは、その大隈のベクトルがすべて国民に向いていたということなんです。
大隈の魅力というのはその視野の壮大さ、その大巨人ぶり。
それが何といっても、彼の魅力ですね。
マスター:ほぉ~。
富田さん:
世界を見ていた大隈だから、南極探検隊の後援会長もやったんです。
実は、南極には「大隈湾」という名前の湾があったりするんですよ。
マスター:
へぇ~。そうなんですねぇ~!
富田さん:
意外なところに佐賀の足跡が残っているんですね。
そういう佐賀に住む僕たち、例えば現実社会で目の前でちょっと嫌なことが起きた時、嫌な奴がいた時、判断に迷った時、自分と対面する課題だけを考えずに、 大隈さんみたいに、その背後にいるみんなのためにどの方向に進むのが一番ベストかというのを広い視野で、例えば10秒だけ考える時間を持つように心がければ、 いつの間にか私たちも人生の風がちょっと違う方向から吹き始めるかもしれないですね。
あ、もうこんな時間だ。マスター、ご馳走様!
マスター:
ありがとうございました~。
じゃあ私も、カップ麺の出来上がりを待ってる間ぐらいは、広い視点をもてるように知恵を絞ってみましょうかねぇ。