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維新の「志」コンテンツコレクション

シーズン1 第8回 辰野金吾

2016年11月2日放送

 

マスター:やぁ、富田さん、またいらっしゃいましたね。

富田さん:
あ、こんばんは~・・・って!マスター、どうしたんですか、その格好!
毛糸の帽子にマフラー、手袋、子・牛・寅…十二支をあしらったドテラ!?

マスター:ええ、11月に入って寒くなったじゃないですか。この店も古くてスキマ風がひどくて。

富田さん:確かに、このお店もかなり年代物ですもんね~。あ、建築と言えば…。

マスター:待ってましたよ~。今日は、どなたなんです?

富田さん:辰野金吾です。

マスター:佐賀を代表する建築家。確か、唐津の人だと。

富田さん:
そうです、辰野は唐津城下の生まれ。
そして明治初年に、彼は唐津の洋学校に通い、東太郎(あずまたろう)という名前の英語教師もそこにはいて、唐津にいた時から、海外を意識する機会もあったとは思うんですけれども。

マスター:ええ。

富田さん:
本格的に建築を学ぶのは東京に出てから。
工学系分野の専門的な学校の「工学寮」というところを、首席で彼は卒業しました。
そのお陰で政府の費用で海外留学の機会を勝ち取って、27歳でイギリスに留学して、さらに建築学を修得するという、若かりし時代を送るんですね。

マスター:洋行帰りのエリートだったんですねぇ。

富田さん:
まさにその性格も、もうエリートらしく真面目で堅物。
彼の名前の金吾という名前にかけて、周りからは「辰野堅固」とあだ名されたほど、堅物だったんですよね。

マスター:なるほど・・・。

富田さん:
そういった、自分の性格の甲斐もあってか、帰国後は政府の建築技師になったり、公的な立場から工部大学校というとこの教授にもなったりして、これが今の「東大工学部」になっていくんですけれども。

マスター:ほうほう。

富田さん:
そういう公の立場で、日本建築界を指導していく立場に進んでいくんですね。
でも彼は49歳で依願退職しまして設計事務所を立ち上げて、自営業の建築家に転身することになります。
そこで「辰野式」と呼ばれる独特の建築スタイルを自営業時代に発揮することになるんですけれども。
マスター、明治時代の建物といえばどんな色づかいをイメージしますか?

マスター:やはり…煉瓦調ですかね…。

富田さん:
ですよね。あの赤い煉瓦の壁に、たまに白いストライプみたいな帯状のデザインが入ったのを目にしません?
あの明治日本らしい、古い煉瓦調のホワイトのストライプが「辰野式」と呼ばれる彼独特の建築スタイルなんですよね。

マスター:そうなんですねぇ。

富田さん:
ですから彼の代表作と言っていい、東京の玄関口、東京駅もその特徴を兼ね備えて、8年かけて設計建築されたものですし。数年前、あの東京駅も建築当初の姿に戻されましたよね。

マスター:この東京駅以外にも辰野の作品は?

富田さん:
例えば東京駅が出来た翌年、辰野が設計して武雄温泉の新館とあの龍宮城みたいな独特な形の楼門ができ上がっています。
それからもう少し遡りますが、明治25年という年には日本で初めて、専門家の設計による西洋式の大邸宅が東京永田町に出来上がるんですよ。

マスター:はい。

富田さん:
これを設計したのは、佐賀市内出身の坂本復経(さかもとまたつね)という人物なんですけれども、残念ながら彼が着工直後に死去したために、完成まで見届ける設計の専門家として白羽の矢が立ったのが、辰野金吾だったんですね。

マスター:ほう。

富田さん:
そして、その日本初の邸宅というのが、旧佐賀藩主の鍋島邸なんですね。
ただ残念なことに、関東大震災でこの建物は倒壊してしまって、鍋島家は、永田町から渋谷にお引越されましたので、跡地は国の所有になって、もう今は鍋島家とは全く関係のない方が、その跡地には住んでおられるんですね。
確か、安倍さんという方が今、住んでいるんですけどね。

マスター:その、安倍さんとはまさか…?

富田さん:今、その跡地が“首相公邸”になってる場所なんですね。

マスター:そうなんですねぇ。

富田さん:
ですから、こうした日本初というものも含めて、明治・大正の有名な建築物にまつわる、色んな所で辰野金吾の名前が出てくる。
日本銀行の本店。あれも辰野の代表作なんですけれども、あれを作る時の事務方の主任になっていた人物が、若かりし時、あの唐津で辰野が薫陶を受けた英語教師の東太郎なんですね。
しかしこの太郎さん、これは変名という違う名前で唐津に来ていまして…、本当の名前は、高橋是清という名前なんですね。
彼はのちに日銀総裁もなるし、総理大臣にまでなる人物なんですね。

マスター:は~・・・!

富田さん:
ですから彼の建築物には人脈の広がり、色んな繋がりというのがとにかくどんどん見えてくる。
その広がりというのは、唐津から東京、東京からイギリス、そしてまた東京で…。そういった空間的な広がりと、それから立場も、政府の公的な建築家や教育者の立場から、後に自営業者になるという。
彼の建築家人生の広がりそのものを示す、そういうものなんですよね。
それにしても、マスター、確かにこの店、スキマ風すごいですね。
冷えてきたので、この辺で失礼します。ご馳走様。

マスター:
ありがとうございました~。風邪ひかないように。…ハックション!
ぬぁぁ…ここもそろそろ東京駅並の修復が必要ですかねぇ・・・。