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維新の「志」コンテンツコレクション

シーズン2 第10回 憂いはともに憂い、楽しみはともに楽しむ

2017年3月15日放送

 

マスター:
「俺の苗字になってくれ」「私のために、毎朝味噌汁を作ってくれませんか?」
・・・なんか違うな~。

富田さん:(遠慮がちに)こんばんは~。マスター。

マスター:ああ、富田さん…。

富田さん:何をブツブツ言っているんですか?

マスター:いえね、例の彼女に、いよいよポロポーズをしようかと思うんですが、なかなか良いセリフが出て来なくて。

富田さん:それはおめでとうございます!それでは、幕末・日本のSAGAを代表する人物、10代佐賀藩主・鍋島直正公の残した言葉の中から今回は「とっておき」を紹介しましょう。

マスター:おお、待ってました。ぜひお願いいたします!

富田さん:「憂いはともに憂い、楽しみはともに楽しむ」

マスター:何だか結婚式で聞くような言葉ですね。

富田さん:
うん、幕末から維新期の佐賀藩は、反射炉や三重津海軍所といった大事業に成功しますが、それらを成し遂げる下支えとなったのが、直正公による「藩内の結束力の強化」だったんです。

マスター:「求心力」は問われますもんねぇ。

富田さん:
直正公は藩主就任直後から質素倹約をはじめとする改革に取り組みますけれども、それまでは江戸に暮らしていて、17歳で生まれて初めて佐賀にやって来た若いお殿様の改革が、初めからスムーズに行くわけがないんです。

マスター:ですよねぇ。

富田さん:抵抗勢力も多く、直正公は壁にぶち当たります。就任の翌年、儒学者の古賀穀堂先生は、直正公にこう提言しました。

マスター:ああ、あの直正公が大リスペクトする先生ですよね。何と仰ったんですか?

富田さん:
うん、「佐賀には3つの病があります。妬(ねた)み甚だしく、決断乏しく、負け惜しみ大いに行わる。他人の意見に耳を傾け、己れの非を改め、そしてお互いに討論する、そういう慣習が、佐賀人にはありません。この3つの病を除去しない限りは、大事業を成し遂げることはできません」と。

マスター:(苦笑)私たち現代人にとっても、ちょっと耳が痛い話ですなぁ。で、その「三つの病」の治療法とは・・・?

富田さん:
うん、具体的な政策を推し進めるよりも、まずは役人たちの人間関係を密にすること、チーム佐賀を作り上げることが必要ですよと、穀堂先生は提言したんです。これを受けて直正公は、腹を割って話をする環境作りを何度も役人たちに命じて、藩主である自分の考えと違う意見だからといって遠慮はいらぬ、一緒に議論しようと語りかけ続けます。

マスター:うん。

富田さん:
そして藩主就任から10年余りを経た頃。藩政改革が思うように進まなかった直正公は役人たちにこう語りかけます。「藩内は重臣たちがそれぞれの家々に分かれているけれども、身分の上下とか、立場の違いを超えて、藩内すべてが一体となって、『憂いはともに憂い、楽しみはともに楽しみ』一丸となって藩が永続するための基盤を築き上げていこう」と。

マスター:若いお殿様ならではの、当時としてはかなり先進的な考えですよねぇ。

富田さん:
(相槌)長崎での砲台築造とか、反射炉での大砲造りといった大事業に向かって取り組んでいくのは、それからさらに10年ほど後のことです。確かに三重津海軍所で苦難を乗り越えて蒸気船を造ったことも、今を生きる私たち佐賀人にとっての誇りではありますけども、それよりも立場を超えてみんなが乗船できる、佐賀藩という一つの大きな船を造って、そして大事業に向かって船出をして、幕末という荒波を乗り越えていった、その底力の方が何より佐賀藩の魅力じゃないかと、思うんですよね。

マスター:仰るとおりですよねぇ。

富田さん:
だからマスターも、彼女さんとは生まれも育った環境も違いますから、色々とぶつかることもあるとは思いますけれど、ぜひ一丸となって、幸せという海に漕ぎ出して行ってください。

マスター:いやぁ、いいお言葉を頂きました。あぁ、その彼女、もうすぐここに来るんですが、よかったら会っていきませんか?

富田さん:い、いえ、お二人の時間をお邪魔しちゃ悪いですから、私は早々に退散します。ご馳走様でした。そしてお幸せに!

マスター:
あはは、ありがとうございました~。いやぁ、これまで毎週毎週、直正公と富田さんの言葉で、ずいぶん勇気づけられたな~。よし!プロポーズの言葉は「毎朝一緒にバナナスムージーを食べないか」・・・。これで決まりだな。