シーズン2 第5回 民を思えば美食も喉を通らずに候
2017年2月8日放送
マスター:あぁ富田さん、いらっしゃい(悩)。
富田さん:
どうしたんですか?マスター。こんなにいっぱい雑誌を広げて。
なになに、「決定版佐賀んグルメ」、「三ツ星レストランガイド」・・・。
グルメ本ばっかりじゃないですか!?
マスター:
いやぁですねぇ…。
例の彼女と、実は来週、バレンタインデートをすることになったんですが…。
富田さん:おお、すごい進歩じゃないですか!
マスター:
う~ん、それが、焼肉、中華か、フランスか、はたまた寿司屋か割烹か…。
どこに行けばいいのか、悩んでいるんですよ。
富田さん:う~ん、ただ、豪勢な食事に連れて行きさえすれば、彼女が必ずしも喜んでくれるとは限りませんよ。
マスター:でもせっかくの「初デート」ですし…。
富田さん:そうだ!そんなマスターにきょうも幕末・日本のSAGAを代表する人物、10代佐賀藩主・鍋島直正公の残したこんな言葉を紹介しましょう。
マスター:待ってました、お願いいたします。
富田さん:「民を思えば美食も喉を通らずに候」
マスター:ん!?美食が喉を通らない!?
富田さん:話は直正公が17歳で藩主に就任した頃、佐賀藩は台風被害や凶作が続き、藩の財政も傾いて、民衆の生活も困窮をきわめていました。
マスター:うん。
富田さん:そこで直正公が初めに着手した改革が「質素倹約」。
マスター:ええ?ただでさえ民は食べ物に困っている時に、質素倹約とはまた酷なことを・・・。
富田さん:ただ、この命令は、贅沢な暮らしぶりが当たり前になっていた一部の武士たちを主な対象者にしていたようで。
マスター:ああ~。
富田さん:その気風を刷新することが目的の一つでした。
マスター:なるほど。
富田さん:
そして、その対象者には、実は直正公自身も含まれていたんです。
直正公は「国を治める要は、身を以て先んずることに尽きる。何よりまず自分自身が一番に実践することこそが藩内を治める上で大切だ」という考えを持っていたからなんですね。
マスター:う~ん、具体的にはどういうことをされたんですか?
富田さん:
例えば身に着ける衣服。現在の私たちの暮らしでは、同じ服を何度も洗濯して着続けるのは当たり前ですよね。お正月くらいは新しい無垢な下着で迎えたりしますが。
当時のお殿様の場合、無垢な御召し物は1度汚れたら終わりなんです。
マスター:うん。
富田さん:常にお正月みたいなもので、ただ捨てるわけではなく、藩士達に与えるというのが通例でした。
マスター:なるほど。
富田さん:
確かにお殿様ですから、参勤交代で江戸に滞在している時は、パリッとしたフォーマルな服装が求められる場面があるんですけれども、さすがに直正公はこう思います。
「もったいないな。」
マスター:うん。
富田さん:
そこで直正公の時代、すでに名君として呼び声の高かった山形県米沢藩の藩主・上杉鷹山(ようざん)などのやり方に学んで、上杉様ですら同じ服を3回も洗って着ていたらしいぞ、と。ということは、私など何回洗っても構わないと言って、自由のきく佐賀に居る時などは質素な木綿の服ばかりを着るようにしていたと言われてるんですよね。
マスター:へぇ~。
富田さん:周りに求めるばかりではなく、自らの日々の暮らしから見つめ直して、質素を心懸けたのが直正公だったんですね。
マスター:う~ん、本当に素晴らしいお殿様ですねぇ。それが「美食が喉を通らない」という話にどう繋がっていくんですか?
富田さん:
はい、実は直正公。自らの服装の他にも食事内容についても部下たちにこう宣言してるんです。
「私は飲食については、幼少の頃より贅沢をしてきたが、今後はこうする。 朝ご飯はお汁と漬物の2品だけ。 昼食はおかずと漬物の2品だけ。晩飯は味噌や塩さえあればそれでよい。こういうことは、あなたたち部下の立場からは遠慮して私に提案しづらいことだろうから、私から言うことにした。たとえ、どんなに美味しくて、どんなに珍しい食品があったとしても佐賀の民の苦労を想えば、喉を通り申さざることに候」。
マスター:うん。
富田さん:
藩主就任3年目、当時19歳の青年直正公の決意なんですね。
19歳と言えば、まだまだ食べ盛り。厳しい決断をされたんですね~。
でも、この決断も民衆のことを思う気持ちがあればこそですよ。
マスターも、彼女さんとのデートは、豪華さよりも「気持ち」とか「一緒にいる時間」を大切にしてみたらどうですか?
じゃあ、ご馳走様でした。
マスター:
ありがとうございました~。確かに富田さんのおっしゃるとおりだなぁ。
うん。バレンタインデートは、彼女が大好きなバナナだけにしよう!!