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維新の「志」コンテンツコレクション

シーズン2 第7回 必ず腹などお立てなされぬよう

2017年2月22日放送

 

富田さん:こんばんは~。マスター。あれ!?ケータイの待ち受けなんか見つめて、どうしたんです?

マスター:いえね、例の彼女から、今度はお父様の写メが送られてきたんですよ。あ、見ます?これがまた娘さんソックリでしてねぇ・・・。

富田さん:ん、大丈夫です、何となく想像はつきます・・・。で、今回はどんなお悩みなんですか?

マスター:あぁ、いやぁ、父親にとって娘って、特別な存在じゃないですか。娘を想う親の気持ちってどんなんだろうと思いましてねぇ・・・。

富田さん:
なるほど!じゃあ、そんなマスターに、きょうも幕末・日本のSAGAを代表する人物、10代佐賀藩主・鍋島直正公の残したこんな言葉を紹介しましょう。

マスター:待ってました、お願いします。

富田さん:「必ず腹などお立てなされぬよう」

マスター:ずいぶん、へりくだった言葉ですね!?

富田さん:
そうなんです。当時、種痘(しゅとう)に代表されるような西洋の進んだ医療をいち早く導入した佐賀藩。
その背景には、実は人や命に対する直正公の深い愛情があったんです。

マスター:医学と愛情…?

富田さん:はい、直正公が結婚したのは12歳の時。藩主に就任したのが17歳ですからずいぶん早いご結婚だったんですよね。 

マスター:うん。

富田さん:
そのお相手のお名前は盛姫さん。徳川将軍様の娘さんでした。正室・盛姫さんとは、残念ながら子宝には恵まれませんでしたが、直正公は、側室さんたちとの間に18人のお子さんができます。
最初のお子さんが産まれたのは直正公が26歳の時。貢姫(みつひめ)さんという長女の誕生です。

マスター:うん。

富田さん:
待望のお子さんでしたから、幼少期には天然痘を予防するための種痘を接種させたりして、それはそれは大切に育てます。そんなかわいい娘・貢姫が嫁いだのは17歳の時。埼玉県川越藩主・松平家の正室になったんです。
直正公はその少し前頃から明治維新を迎える頃までの約15年間、この貢姫さんと文通を続けます。大体、月1に1回のペース。父親としての直正公の愛情あふれる直筆の手紙が200通も残されてるんですね。

マスター:200通!!まぁ、私が一日で彼女に送るLINEの半分くらいですかね。

富田さん:そんなたくさんの手紙の中から、江戸在住の貢姫さんに直正公が送った1通の手紙がこんな内容です。

マスター:ほう?

富田さん:
「いらざることなれども、ちょっと申し遣わし候」という書き始め。
「いらんこと」と自分で分かっているけれども、どうしても直正公が伝えたかったことというのはどんなことなのか…? 

マスター:うん。

富田さん:
「最近江戸の町なかでは天然痘が流行していると聞いています。 あなたは幼少期に種痘を接種していますから、もう大丈夫とは思いますが、よかったら是非もう一度だけ、種痘を受けてくれませんか? 『誠に誠に爺(ちち)が要らぬこと』と思われるでしょうけれど、遠く離れているためどうしても心配なのです。だからちょっと一言だけいわせてもらいました。 必ず必ず腹など御立てなされぬようにお願いします」

マスター:お殿様でもあり、父親だから威厳をもって命令口調でもいいのかもしれませんが、逆にへりくだっているところに、親の愛情を感じますねぇ。

富田さん:
この頃貢姫さんは27歳。直正公は52歳でした。実はこの時すでにご主人を病で亡くして、人生の波を何度も越えてきた27歳の大人の女性に対して、直正公はいつまでも「親」として心配なんですね。

マスター:うん。

富田さん:
直正公が医者の学校「好生館」を創設したり、先進的な医療体制づくりに力を入れた業績面はよく知られています。西洋医学に絶対的な信頼を持っている直正公だからこそ、愛する人にはここまで姿勢を低くしてでも言葉をかけているんですね。

マスター:なるほど・・・。

富田さん:
直正公の大きな魅力の一つは、周囲の人々に対する愛情の豊かさなんですね。
ちなみに、私がここのお店に来る前に、日中勤めている徴古館では、いま佐賀城下ひなまつりと連動して「鍋島家の雛祭り展」を開催してるんですよ。

マスター:うん。

富田さん:
鍋島家のお屋敷で実際に飾られていた雛人形や雛道具、約500点を展示してるんですね。
マスターも、これを観れば、少しは「娘を大切に想う親ゴコロ」が理解できるかも知れませんよ。じゃ、ご馳走様でした。

マスター:
ありがとうございました~。「娘を想う雛かざり」か・・・。・・・ん?
確か、彼女の家では、代々「モンチッチ」を飾ってるって言ってたな・・・。