シーズン2 第8回 古風押し立て候よう心に懸くべく候
2017年3月1日放送
富田さん:こんばんは~。マスター。
マスター:「チョベリバ~」。激怒(げきおこ)プンプンま・・あ、富田さんいらっしゃい。
富田さん:なんですかマスター!?一昔前のギャル語なんか練習しちゃって・・・。
マスター:あははは、いえね。例の彼女から「LINEの文章が古くさい」って言われちゃいまして、それで、最近の若者言葉を勉強していたんですよ。
富田さん:
(心の声)「チョベリバ」も十分古くさいと思うけどな~。
そうだ!そんなマスターに、きょうも幕末・日本のSAGAを代表する人物、10代佐賀藩主・鍋島直正公の残した言葉を紹介しましょう。
マスター:ナウでヤングな言葉をお願いしますよ~。
富田さん:「古風押し立て候よう心に懸くべく候」
マスター:おぉ…、大砲や蒸気船、医療など、西洋的なものを積極的に導入した直正公のイメージからすると、ちょっと意外な言葉ですね。
富田さん:
えぇ。西洋的なものというのは、直正公にとっては手段の一つに過ぎなかったんです。
西洋的なものを導入する目的というのは、古風な考えや、日本らしいものを維持することでした。
マスター:そういうことなんですねえ~。
富田さん:
幼少期の直正公は、養育係の磯濱さんから厳しく育てられて、家庭教師役の古賀穀堂先生という学者さんからは藩主として必要な知識や考え方の指導を受けました。
マスター:うん。
富田さん:その頃、直正公が毎朝くり返し頭に叩き込んでいたのが、藩祖・鍋島直茂公の残した教訓書です。
マスター:ほーぅ・・・。
富田さん:鍋島家が佐賀藩主になるまでの苦労や、リーダーとしての心構えなどのエッセンスが詰まった、素晴らしいテキストでした。
マスター:うん。
富田さん:
さて、直正公は藩主生活を30年間で引退して、長男の直大(なおひろ)公にバトンタッチします。
自分の跡継ぎですから、直大公に対してはけっこう厳しく、将来の佐賀藩主としての心得を教えています。その象徴的なエピソードがこれです。
マスター:ほぅ。
富田さん:
佐賀藩は独立した中小企業ではありませんから、トップの交代時には、必ず徳川幕府への許可申請が必要なんです。江戸城までお願いにあがるために、佐賀で生まれ育った15歳の直大公が初めて佐賀を出発するその直前、直正公は直筆の心得書を息子に手渡します。
マスター:ほーぅ、どんなことが書いてあったんでしょう?
富田さん:
「我が鍋島家には、他の大名家とは違う特別な家風がある。江戸に到着したら様々な大名たちと交流をもつだろうがその時には、『古風押し立て候よう、心に懸くべく候』」最も大切な心懸けというのは、藩祖・直茂公から250年以上続く鍋島家の歴史の中で培われた、独特の質実剛健な家風だと言うんですね。
マスター:それを伝えるための言葉だったんですねぇ。
富田さん:そうなんです。そこで「得(篤)と拝見、熟読致され候ように」と言って手渡した1冊の書物が、直茂公の教訓書。
マスター:うん。
富田さん:これは、直正公が30年前、自分が学習した時に使った、我が家の歴史が詰まったものだったんです。
マスター:へぇ~。
富田さん:
反射炉での大砲造りや、三重津海軍所での蒸気船の運用、そして先進医療など西洋的なものを導入したことだけが素晴らしいのではなくて、新しい武器を備えた西洋の国々から無秩序に脅かされそうになった時代だからこそ、直正公は西洋並みの武器を揃えたんです。直正公の真の目的は、決して西洋を目指すことではなくて、日本の暮らし、秩序ある人と人の関係を守ることだったんですね。
マスター:そういうことなんですねぇ。
富田さん:
だからマスターも、今風の流行(はやり)を追いかけるだけではなくて、日本の美しい言葉を使って彼女さんとやりとりしてみてはどうですか?じゃあ、ご馳走様でした。
マスター:
ありがとうございました~。確かに富田さんの言うとおりだな。よし、今度の土曜のデートのお誘いの文章は「4日 佐賀城二の丸跡。再建されし直正公の銅像の前にて、逢引き致したく候」これでいってみよう!