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維新の「志」コンテンツコレクション

シーズン3 第1回 直正公の育ての親「磯濱(いそはま)」

2017年7月12日放送

 

富田さん:こんばんは~。マスター。お久しぶりです。

マスター:(口の中をモグモグさせながら)やぁ、富田さん、お久しぶりです~!

富田さん:あ、これは失礼! お食事中でしたか?

マスター:
いや、ちょっと小腹が空いたので、大好きなあんドーナツを食べていたんですよ。
コーヒー、すぐ用意しますね。(手をはたく)

富田さん:あ~あ~、服に付いた粉砂糖をぱっぱっと払って…。お育ちが分かってしまいますよ…。

マスター:うちは家族全員、昔からこんな感じですね。

富田さん:マスターのご家庭にも、磯濱(いそはま)さんのような方がいらっしゃればですね。

マスター:磯濱さん?どこかで聞いたような名前ですね。

富田さん:えぇ。じゃあ、きょうは直正公の「育ての親」磯濱さんをご紹介しましょう。

マスター:どんな方でしたっけ?

富田さん:
はい、10代佐賀藩主・鍋島直正公は、今から200年ほど前の文化11年(1814年)に、江戸の佐賀藩邸で生まれました。現在の日比谷公園がある場所にお屋敷があったんですね。幼い直正公の生活面を指導する躾役(しつけやく)には、何人かの女性が選ばれたんですけれども、その代表格が、きょうの主人公、磯濱さんでした。

マスター:う~ん。

富田さん:
この磯濱さん、とにかく厳しい。例えば、直正公がお庭に出ようとして自分で足袋を脱ごうとしていると、磯濱さんが一喝。
「自らの手で足袋を脱ぐなど、大名に有るまじき行為!」
つまり、大名たるもの、お付きの者に脱がせなければならないというのです。現代の一般的な教えとは真逆ですが、将来、藩主となるためのエリート教育の一環だったんですね。

マスター:なるほど。

富田さん:ただ、その一方で、佐賀藩の大切なお世継ぎだからといって、過保護にすることはなかったようです。

マスター:ほぅ。

富田さん:
直正公がお庭でどんなに泥んこになって、水を浴びて遊んでも、それをセーブさせるどころか、お庭の小石を取り除いて、池に転落しないように柵を設置することで、もっと自由に安全に、大いに遊べるようにと環境を整えるような人だったんですね。

マスター:周りの皆はヒヤヒヤしそうですね。

富田さん:
そんな心配をする、ほかの女中さんたちに対して、磯濱さんは一言。
「よいよい、ほっとけばよいのだ」
つまり、子供にはのびのびさせよ、という考え方で直正公を育てたんです。磯濱さんは、立場的には、佐賀藩邸に勤務する一人の女性でありながら、お世継ぎの育ての親として、豪快、かつ細心の注意を払いながら、大らかに直正公の精神を育てた立役者と言っていいでしょうね。

マスター:なるほど。それで、直正公にとって磯濱さんは、どういう存在だったんでしょうか?

富田さん:
直正公が40歳を迎えた時、磯濱さんは70歳を過ぎた頃なんですけれども、直正公はこんな言葉を手紙で江戸の藩邸に伝えています。
「磯濱がやや体調を崩しているそうですね。以前から聞いてはいましたが、このたび佐賀出身で、江戸にいる医者・伊東玄朴からの報告で詳しく知りました。藩邸の皆さんもさぞかし心配なことでしょう」
また、しばらく後の手紙には、「磯濱が訴えていた体の痛みが段々と快方に向かっていると聞き、この上なく安心しました」など、磯濱さんの体調について、直正公は一喜一憂していたようなんですね。よほど幼少期の恩義を感じていたと思いますね。

マスター:「三つ子の魂百まで」というやつですね。

富田さん:
さらに、直正公は隠居する直前、跡を継ぐ嫡男の直大(なおひろ)公に向けて7ヵ条の心得書を贈っています。その一節の中に「江戸の藩邸には、女中さんたちもたくさんいるが、彼女たちのことを決して粗略に扱ってはならない」と諭しているんですね。
直正公は基本的には、身分や格式を重視する方でしたが、それによって人の中身まで評価するということはなかったようです。心のこもった働きをしてくれた方に対しては、感謝の念を何十年経っても持ち続けていたんですね。
マスターも親御さんに恥をかかせないように、良識ある行動を心掛けた方がいいと思いますよ。
じゃあ、ご馳走様でした!

マスター:
ありがとうございました。う~ん。うちは結構、しつけは厳しかったと思うんですがね~。 あ、富田さん、コーヒー残してる・・・。もったいないから、ドーナツ浸けちゃお。