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維新の「志」コンテンツコレクション

シーズン3 第12回 直正公の愛娘「貢姫(みつひめ)」前編

2017年9月27日放送

 

富田さん:こんばんは~、マスター。

マスター:あぁ~、富田さん。いらっしゃい。

富田さん:鍋島茂義ゆかりの武雄温泉はいかがでした?

マスター:
いやぁ、その節はありがとうございました。兄貴と一緒に楽しんできましたよ。ちょうど、兄貴が自分の娘を連れて来ていまして、まぁ私には姪っ子になるんですが、その子がかわいくて、かわいくて。

富田さん:そうでしょうね。それじゃあ、きょうは、直正公の愛娘・貢姫さんを紹介しましょう。

マスター:ぜひ、お願いします。

富田さん:
直正公のお子さまは、実は18人いました。マスター、直正公が12歳で結婚した将軍の姫君のお名前、ちゃんと覚えてますか?

マスター:あぁ~、確か「盛姫」さん?

富田さん:そう。ただ、正室である盛姫さんとの間には子宝に恵まれませんでした。

マスター:でしたね~。

富田さん:
直正公が藩主就任10年目にあたる26歳の時、側室との間に第一子が誕生します。その子が今回の主人公、長女の貢姫さんです。正室は江戸の藩邸に住むのに対して、側室は佐賀城にいますから、貢姫さんは佐賀生まれの姫君です。その貢姫さんに縁談話が浮上したのは、わずか4歳の時。お相手は鳥取藩の10代藩主の方。鳥取の池田家です。 将来、池田家という大(だい)大名のお家柄に嫁ぐわけですから、江戸の藩邸に暮らす直正公の正室・盛姫さまから、必要な素養やマナーを教えてもらうため、貢姫さんは7歳の時、佐賀から江戸に移ります。

マスター:う~ん。

富田さん:
ところがです。江戸についてわずか2年後、盛姫さまが37歳で亡くなって、翌年には婚約相手であった池田公も病気でこの世を去ります。貢姫さんは、10歳前後にして大きく運命の波に翻弄されるんですね。ただその後は、直正公の再婚相手の筆姫さまや、あの磯濱さんたちと一緒に過ごし、中国の書物を習ったり、薙刀(なぎなた)のトレーニング、お琴のお稽古なども重ねていきます。そして17歳になった時、同い年の川越藩主・松平直侯(なおよし)公との縁談が整います。川越藩邸は、佐賀藩のお屋敷から道1本挟んだお向かいにありましたので、いつでも「お里帰り」ができる環境でした。

マスター:なるほど。

富田さん:
ところが、結婚から1年ちょっと経った頃、ご主人が部屋にこもりがちになります。それを知った父・直正公は、直筆の手紙を送ります。「私は、松平殿のことも心配ですが、本当のところは貢姫のことが心配です」。娘のことが一番気になるという親心を漏らしているんですね。また別の手紙では、「旦那さんはやがて回復するだろうから、心配するな」と伝えています。この時、松平公は19歳。マスター、直正公がこれくらいの年齢の時、どんな感じだったか覚えてますか?

マスター:確か、家臣と折り合いがうまくつかず、精神的に参っていましたよね?

富田さん:
そうそう。そんな自分の経験を踏まえて、「絶対によくなるから!」と言って直正公は手紙を送り続け、貢姫さんを力強く励まします。参勤交代で江戸に滞在中には、直接貢姫さんと会う機会をできるだけ設けて、松平公にもお見舞いの氷砂糖などを贈ったりしますが、残念ながら松平公は23歳の若さで亡くなります。

マスター:そうなんですねぇ。

富田さん:
直正公は貢姫さんとの文通をこの後も続けます。その期間、実に15年間。そのお父さんからの手紙を、貢姫さんが大切に保管していた約200通が、今でも私が勤めている徴古館に残されているんです。

マスター:ほぅ~。

富田さん:
その全ての手紙の写真と活字、現代語訳を付けた資料集が、あと数ヵ月で完成しそうなんです。出来上がったらマスターにもプレゼントしますね。

マスター:ぜひ、お願いします。

富田さん:じゃ、ご馳走様でした!

マスター:
ありがとうございました。そういえば、うちの兄貴も、娘にLINEをしょっちゅう送っていますが、「最近は、既読(のマーク)すらつかない」って言ってたなぁ。