シーズン3 第14回 直正公の跡継ぎ「鍋島直大(なべしま・なおひろ)」
2017年10月11日放送
富田さん:こんばんは~、マスター。
マスター:やぁ、富田さん。いらっしゃい。
富田さん:そういえば、マスターのお兄さんと、その娘さん、その後どうなんですか?
マスター:
まぁ、そういうお年頃なんでしょうが、なかなか父親の言うことを聞いてくれないようで。「親の顔が見てみたい!」って、嘆いてますよ。
富田さん:
うう~ん、そうですか。じゃあ、参考になるか分かりませんが、きょうは、直正公の息子さん「鍋島直大公」のことをお話ししましょう。
マスター:お願いします。
富田さん:
直正公のご嫡男・直大公。直正公にとって、大切な跡継ぎですから、けっこう厳しく直接指導をしています。時には心身を鍛えるために、直大公と一緒に佐賀城を朝出発して、大和・金立方面の山間部まで行って帰ってくるという、1日40km以上もの「遠足」に連れ出したこともありました。
マスター:もう遠足と言うより、トレッキングですね。
富田さん:
えぇ。この時直大公は14歳、父親の直正公は46歳でした。さすがに堪えた直正公は江戸にいる長女・貢姫さんに、手紙で「ことのほか、山険しく、大くたびれ致し申し候」と伝えています。青年期の息子の前では厳格なお父上も、愛娘には、「男はつらいよ」と本音を漏らしていたんですね。
マスター:そういうところは、今の普通のお父さんと一緒なんですね。
富田さん:
えぇ。また、直正公が最初に購入した蒸気船「電流丸」には、嫡男・直大公をはじめ、そのほかのお子さま方にも乗船体験をさせています。ハードな遠足も蒸気船も一緒に連れていく、そして体験させるというのが、直正流の教育法の一つだったようですね。
マスター:なるほど。
富田さん:
やがて、藩主の座を譲る決心を固めた直正公は、15歳の直大公を幕府へのご挨拶のため、江戸城に登城させます。佐賀生まれ・佐賀育ちの直大公が、江戸に行くのは、この時が初めて。佐賀を出発する2日前に、直大公を呼び出した直正公は、こう伝えます。「佐賀藩主としての大切な心掛けが詰まっているこの書物をしっかり熟読しなさい」。その時手渡した餞別の品が、藩祖・鍋島直茂公の言葉が記された書物でした。
マスター:あぁ、ご自身が幼少期に毎朝勉強していたという、あの書物のことですよね。
富田さん:
そうです。30年以上経って息子に同じテキストをプレゼントした直正公は、こんな言葉を掛けます。「最も大切なことの一つは、江戸に出ても、鍋島家らしい古風なスタイルを曲げないことだ」と。さらに直正公は、こう諭します。「江戸の藩邸では、年寄たちからの苦言を耳にすることもあるだろうが、素直に聞きなさい。彼らはあなたのためを思って言うのだから。また江戸の藩邸には女性たちもいる。決して軽く扱ってはならぬぞ」と。
マスター:
確かに、直正公自身、幼少期に磯濱さんたち藩邸の女性に育ててもらい、穀堂先生たちお年寄から色んな教えを受けて成長した経験がありましたからね。
富田さん:
そうなんです。まさにその実体験に基づいたアドバイスだったんですね。そして、「今回は初めての長旅だから、くれぐれも土地の食べ物や飲み物には気を付けなさい。でも雨が降ろうと雪が降ろうと、足を止めずに江戸まで辿り着きなさい」と、優しくも厳しく、息子を送り出しました。
マスター:う~ん。
富田さん:
さて、直大公より7歳年上のお姉さんにあたる貢姫さんは、この当時、嫁ぎ先の川越藩邸に住んでいました。直正公は貢姫さんに手紙でこう伝えます。「直大が江戸に到着したら、やがてあなたと面会する機会もあるでしょう。誠の誠の田舎者なので、弟・直大の面倒をよく見てください」と。次期藩主として、厳しく育ててきた直正公でしたが、息子への愛情・慈しみは、やはり「人の親」だったんですね。
マスター:なんだかほっこりしますね。
富田さん:
マスターのお兄さんも、娘さんへは「アメとムチ」を上手に使い分ければ、うまくいくんじゃないですか?じゃあ、ご馳走様でした。
マスター:
ありがとうございました~。・・・しかし、うちの兄貴、もしアメがあったら、娘にあげないで自分で食べてしまうほど、”無知”だもんな~。