シーズン3 第15回 直正公の弟分「有馬頼永(ありま・よりとお)」
2017年10月18日放送
富田さん:こんばんは~、マスター。
マスター:あぁ、富田さん。いらっしゃい。
富田さん:あれ、イヤホンなんかつけて、英会話のレッスンですか?
マスター:いや、競馬中継を聴いていたんですよ。意外と昔から好きなんですよね~。
富田さん:へぇ~、じゃあきょうは、その競馬ともゆかりのあるお話しをしましょう。
マスター:ほぅ~、お願いします。
富田さん:
佐賀県のお隣、筑後川を挟んだ向こうに広がる福岡県久留米市。江戸時代にこの久留米藩を治めていたのは「有馬家」でした。年末恒例の「有馬記念」は、そのご子孫が、中央競馬会の理事長を務めていたことなどから名付けられたものです。
マスター:そうだったんですね。
富田さん:
その有馬家の幕末の藩主が、きょうの主人公・有馬頼永です。佐賀藩主・直正公には、何人か気の許せる大名がいましたが、この頼永との関係について直正公は「兄弟の間柄のようだ」と語っています。8歳年下の頼永とは弟のように親交があって、直正公が最も信頼した大名の一人でした。有馬頼永は、若い頃から藩政改革に燃えて、倹約を通じて財政再建を図り、学問を重んじると共に砲術などを重視した殿様でしたから、その点で直正公と通じる部分があったんですね。
マスター:なるほど。一方の頼永は、どう感じていたんでしょうね?
富田さん:
はい。頼永もこう語っています。「今の世の中で、水戸の徳川斉昭(なりあき)公と、佐賀の鍋島直正公は、まことに世間の評判どおりの人物で、当世の英雄と言える。私の及ぶ所ではない」と。そして、頼永はこの言葉を和紙にしたためていました。
マスター:かなりのリスペクト具合ですね。
富田さん:
ええ。実は直正公が江戸の久留米藩邸を訪問した時、この紙を見付けてしまいます。そして直正公は紙を取り上げて頼永をからかいます。頼永は信頼できる兄貴分のことを、真面目に「英雄だ」とか書いていたわけですから、その張本人に見られて恥ずかしがった・・・というエピソードなんです。
マスター:どれだけ仲が良かったか分かりますね。
富田さん:
ええ。しかし不幸なことに頼永は、若くして重い病にかかります。そこで直正公は、手紙でこう伝えます。「自分も以前、そういうことがありましたが、焦らず、気持ちをゆるく持って、まずは養生することが第一です」と。自分が青年期に精神的にまいってしまった経験を踏まえたアドバイスですね。さらに直正公は、「国のまつりごとは確かに大切ですが、国というものには、足はついていません。だから逃げていくものではありません。あなたはまだお若いのですから、まずは時間をかけて体を保養することが急務ですよ」と。
マスター:本当にお優しい方ですね。
富田さん:
そうなんですね。藩政改革に成功している自分を、頼永が慕ってくれていることも分かった上で、私も昔はそうだったんだから、焦って政治を急ぐ必要はないと、実体験に基づいて励ましているんですね。ところでマスター、永山十兵衛って覚えてますか?
マスター:確か、直正公の側近でしたよね。
富田さん:
ええ。その十兵衛が44歳の若さで病没したとき、直正公が溢れる悲しみを手紙で伝えた相手が、実は頼永でした。「僕は有能な部下を亡くして涙にくれ、ここ数日は生気を失い、骨皮だけのような人間になっています」と。
マスター:直正公にとって頼永は、自分の泣き顔までを明かすことができる相手だったんですね。
富田さん:
ええ。ところでマスター、直正公の長女・貢姫さんは、ご主人を23歳の若さで亡くしました。二人の間にお子さんはいませんでしたから、養子をとります。
マスター:大好きな娘さんにどんな養子が来るのか、直正公も心配だったでしょうね。
富田さん:
ええ。結局、養子は頼永の実の弟さんを有馬家から迎えることになりました。直正公は信頼できるお家柄の養子に、ほっと胸をなで下ろしたことでしょうね。あ、もうこんな時間だ。競馬中継は、もう終わっちゃいましたかね?マスター、ご馳走様でした!
マスター:ありがとうございました。「信頼できるお家柄」かぁ。ん!?明日のレースの予想が見えてきましたよ~。