シーズン3 第17回 直正公の盟友「島津斉彬(しまづ・なりあきら)」
2017年11月1日放送
富田さん:こんばんは~、マスター。
マスター:やぁ、富田さん。いらっしゃい。
富田さん:おや!?お鍋なんか出して、何のお料理ですか?
マスター:
いやぁ、秋の深まりと共に、どうしても石焼き芋が食べたくて。最近流行のガスでも美味しく焼き芋が出来る鍋を、ポチッと買っちゃいましてねぇ~。
富田さん:
確かに、この時期のさつまいもは、格別ですもんね。いつもレトロな道具を使っているマスターにしては、最新技術の導入ですね。そうだ、きょうは、直正公の盟友・島津斉彬公を紹介しましょう。
マスター:島津家というと、鹿児島の・・・。
富田さん:
はい。幕末日本のビッグネーム、鹿児島・薩摩藩主の島津斉彬公です。実は、直正公と斉彬公って血縁関係って、知ってました?
マスター:え!?そうなんですか?
富田さん:
えぇ。直正公の母上幸姫(さちひめ)さまと、斉彬公の母上弥姫(いよひめ)さまは、共に鳥取藩主・池田家の出身で姉妹。つまり直正公と斉彬公は「いとこ」の関係にあたるんです。
マスター:なるほど。
富田さん:マスター、あの直正公の愛する長女といえば?
マスター:富田さんのお話にも何度も出てきた「貢姫さん」?
富田さん:
そう、貢姫さんは幼い時、鳥取藩主・池田家の方と婚約するんですが、そのご縁をつむいだのが、斉彬公だったんです。
マスター:鍋島・池田、そして島津という大大名の間が、深いご縁で繋がっていたんですね。
富田さん:
えぇ。こうしたご縁もベースにあって、直正公は5歳年上の斉彬公とは深い間柄で、直正公の伝記を記した久米邦武は「直正公が最も尊敬した大名こそ、斉彬公である」と書き残しています。
マスター:ほぅ。まつりごとでは、どうだったんでしょうか?
富田さん:
はい。この2人が共通して認識していたことは、国防とか科学技術の発展です。佐賀藩は長崎港の警備を担っていましたが、薩摩にも海があって、琉球が近いですから、直正公と斉彬公はともに海の防衛に敏感で、西洋式の大砲や軍艦の必要性を感じていました。佐賀藩は精煉方で理化学分野の科学実験や研究を進めていましたが、薩摩藩でも集成館という場所に反射炉を建造して、大砲や小銃を造ったり火薬やガラスの製造をしていました。また佐賀藩では、日本初の実用蒸気船「凌風丸」を建造しましたが、一方、薩摩藩では洋式軍艦「昇平丸(しょうへいまる)」を造っているんです。
マスター:いい意味で、競い合っていたんですね。
富田さん:えぇ。直正公が、薩摩に使者を派遣した時の手土産が、精煉方で作った電信機だったこともあります。
マスター:当時、最新の「ハイテク機器」をプレゼントしたんですね。
富田さん:
もちろん、一般的な贈答品のやりとりもしています。ある時、直正公は狩りで得た獲物の鳥を塩漬けにして贈りました。その時の斉彬公からのお礼の手紙には「貴重なお品を頂き、かたじけない。同封の手紙に、最近は特別楽しいこともなく過ごしていると書かれていましたが、実は大砲関係の分野では、相変わらず楽しんでおられるのではないですか」と直正公の心中を察する言葉がありますから、技術研究についてはお互いに意識を共有していたようですね。
マスター:佐賀と薩摩。本当に深い絆で繋がっていたんですね。
富田さん:
えぇ。明治維新1年前の1867年、パリで開催された万国博覧会に日本が初めて参加しました。この時、幕府のほかに日本から出展したのは佐賀藩と薩摩藩だけだったんです。このパリ万博が閉幕したのは11月3日。あさってでちょうど150年です。この記念すべき年に、当時の雰囲気と歴史を知ることができる特別展「パリ万博と佐賀藩の挑戦」が、(2017年)11月12日まで佐賀城本丸歴史館で開かれていますよ。お出かけになってはいかがですか?じゃあマスター、ご馳走様でした。
マスター:
ありがとうございました! フランスで行われた万博かぁ。お!お芋が焼けたようですね。アツツ。この皮の”ぱり”っとした感じがたまりませんね~。