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維新の「志」コンテンツコレクション

シーズン3 第18回 古川松根と並ぶ側近「千住大之助(せんじゅ・だいのすけ)」

2017年11月8日放送

 

富田さん:こんばんは~、マスター。

マスター:やぁ、富田さん。いらっしゃい。

富田さん:ん!?おやつの時間ですか?

マスター:いやぁ、バルーンも唐津くんちも終わってしまって、ポッカリ心に開いた穴を埋めようと思いましてね・・・。

富田さん:それで、辛子蓮根を食べてたんですね。そうだマスター、古川松根って覚えてますか?

マスター:確か、直正公が亡くなった3日後に殉死したという・・・。

富田さん:
そうです。側近中の側近でしたよね。その古川松根と並ぶほど直正公が頼りにし、御側に仕えた人物が、きょうお話しする「千住大之助」です。彼は熊本に留学して、佐賀に戻ってからは藩校・弘道館の指南役にもなり、高い学力で知られていました。

マスター:う~ん。

富田さん:
千住の若い時の先生が、直正公の側近でもあった、あの永山十兵衛。マルチな芸術肌の古川松根とは違って、学問を得意としたのが千住でした。28歳の頃から直正公に側近として仕えること、勤続30年。人生の大半を直正公と共に過ごしたことになります。

マスター:直正公の信頼も厚かったんでしょうね。

富田さん:
えぇ。先週お話しした、直正公が従兄弟にあたる薩摩藩主・島津斉彬公のもとに、佐賀藩内で製作した電信機を手土産として送った時、その使者を務めたのが千住。もう一人は、あの佐野常民でした。その後、実現はしなかったんですが、千住は直正公からアメリカ行きを命じられています。さらに直正公が隠居した翌年の1862年、薩摩の島津久光が、勅使に随行して江戸に行き、幕府政治の改革を要求するという大事件が起きます。

マスター:ほぅ。

富田さん:
有力な外様大名が政局を動かす時代。これを見た同じ九州の福岡藩と熊本藩は、佐賀藩に朝廷と幕府の調整役を期待します。直正公は自ら望んだわけではありませんが、調整役のオファーがかかるんです。そこで直正公は、事前に二つの藩と調整を図るため、水面下で熊本に使者を派遣します。それを務めたのも千住大之助でした。

マスター:まさに「八面六臂(はちめんろっぴ)」の活躍ですね。

富田さん:
えぇ。さらにそれだけではありません。直正公の長女・貢姫さんは埼玉の川越藩主に嫁ぎましたが、二女の恒姫(つねひめ)さんが嫁いだのが熊本藩主の細川家。この時、細川・鍋島ご両家の事前調整役も千住が務めています。

マスター:なるほど。

富田さん:千住は信頼も厚くて、学識もありますから、直正公も安心して任せられたんでしょうね。

マスター:しかし、そんな優秀な側近も、主(あるじ)との別れの時が来ますよね。

富田さん:
はい。直正公が病で亡くなった後、殉死した古川松根とは違う道を選びます。千住は、7年の歳月をかけて直正公に関する歴史書を編纂するんです。そしてこれが形となった4ヵ月後に、64歳で亡くなります。この史料は、今でも幕末の佐賀藩を研究する上で最も基本的な文献の一つとして広く読まれていますし、僕がマスターにお話ししているエピソードの多くは、この本で読んだことなんですよ。

マスター:そうなんですね。

富田さん:
ところで、千住大之助は、直正公の大切な交渉役として何度も熊本に派遣されました。そんな熊本のやきものに触れることのできる絶好の機会が、有田の九州陶磁文化館で開かれていますよ。(現在は終了)タイトルは「熊本のやきもの」展。佐賀の陶磁器とは一味違う名品に出逢えるチャンスですから、お出掛けになってはいかがですか?じゃあ、マスター、ご馳走様でした。

マスター:
ありがとうございました。熊本のやきものですか。辛子蓮根に、馬刺し。阿蘇の赤牛に天草大王・・・。食欲の秋を彩る、ぴったりな器が見つかるかもしれませんね~。