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維新の「志」コンテンツコレクション

シーズン3 第20回 直正公の国防論を理解した大老「井伊直弼(いい・なおすけ)」

2017年11月22日放送

 

富田さん:こんばんは、マスター。おや!?また頭を抱え込んで、トラブルですか?

マスター:いえね、彼女とのLINEでちょっとした行き違いがあって、怒らせたみたいなんですよ。

富田さん:まぁ、文章だけのやりとりだと、誤解が生まれやすいですもんね。マスターの気持ち、よく分かりますよ。

マスター:いやぁ、私のことを、そこまで分かってくれるのは富田さんだけですよ。

富田さん:そうだ、きょうは、直正公の考えをよく理解していた大物「井伊直弼」を紹介しましょう。

マスター:お願いいたします。

富田さん:
江戸幕府の最重要ポスト「大老」という役職にいた井伊直弼。開国問題の時、「外国を撃退すべき」という水戸の徳川斉昭たちと対立。大老として、水戸藩士たちを処罰する「安政の大獄」を断行しますが、反感を買った水戸の浪士たちに暗殺され、46歳で亡くなりました。

マスター:教科書で見ましたよ!「桜田門外の変」ですね。

富田さん:
そうです。そんな政局の中枢でバトルを繰り広げた直弼は、人付き合いについてこう語っています。「さてさて、世渡りと申すものは、中々むつかしきものに候。大名、広く付き合い申さず候得共(そうらえども)、我が心の底をよく存じくれ候者(そうろうもの)は、会津松平と佐賀。この二人をおいてまず、これ無く候」。「佐賀」とはもちろん直正公のことです。

マスター:へぇ~。そこまで言うほど、直正公とは理解し合っていたんですか?

富田さん:
はい。井伊直弼は、時代の流れに応じて外国との貿易も必要と考えていました。こうした中、直正公は手紙で井伊直弼にこう伝えています。「国防が整った上での開国はよいとして、あなたが仰るように、備え不十分での開国は問題です。このことで苦心しているのは私と同じですね」と。この頃の直正公は、海軍を創設して蝦夷地を開拓、さらには海外進出まで考えていたんです。そこで海軍の港が必要となるため、直正公は、当時幕府領だった、熊本の天草を佐賀藩に預けて欲しいと井伊直弼に願い出ます。

マスター:天草ですと、長崎にも近いし、漁業も盛んで豊かな所ですね。

富田さん:
えぇ。直弼と直接面談した後に直正公は、部下に手紙を送ります。「天草の一件は、十に九分までは、手に入るべくと存ぜられ候」。つまり90%まで手に入れたのも同然だと、手応えを感じていたんですね。

マスター:結局、天草は佐賀藩に預けられたんですか?

富田さん:
いえ。この面談の半月後に、桜田門外の変が起き、井伊直弼は暗殺されます。当然、話は流れてしまい、代わりに佐賀藩海軍の拠点として三重津海軍所が発展していくんです。

マスター:なるほど。

富田さん:
直正公にとって、年齢も1歳違いという同世代で、しかも海の守りに関して「話の分かる」大老を失ったのは大きな痛手でした。直弼の暗殺直後、幕府は直正公に幕政に参画するようオファーを出します。しかし直正公は断って、すぐに江戸を立ち、兵庫県の港から蒸気船で佐賀に帰っています。

マスター:ほぅ。

富田さん:
この時、直正公は、愛娘・貢姫さんに「無事に明日、兵庫から乗船できそうです」と短い手紙を送っています。井伊直弼と近い立場にいる大名とも見られていた直正公が、やや自らの身の危険を感じていたことをうかがわせる貴重な一通です。

マスター:確かに。

富田さん:
マスター、さっき言ってた彼女さんとの誤解。きっと誠意を見せれば、分かってくれると思いますよ。じゃあ、ご馳走様でした。

マスター:
ありがとうございました~。「明日のお休み、暇だから遊んでやるぜ」。この文面がまずかったんですかねぇ~。さて、何と、”言い直すっけ”?