シーズン3 第21回 役人の鑑「池田半九郎(いけだ・はんくろう)」
2017年11月29日放送
富田さん:こんばんは、マスター。
マスター:やぁ、富田さん、いらっしゃい!
富田さん:おや!?年賀状の準備ですか?
マスター:えぇ。結構枚数が多くて、整理を頼める有能な部下でもいればいいんですけどねぇ~。
富田さん:
その気持ち、よく分かります。じゃあきょうは、直正公の部下の中でも、真面目で行動力があり、テキパキと何でもこなしていた佐賀藩士・池田半九郎を紹介しましょう。
マスター:お願いします。
富田さん:
直正公が藩主に就任して6年目、直正公は、家の格にこだわらず、中堅層を重要ポストに登用し始めます。その代表格が池田半九郎です。まず、城下町の暮らしを管理する「町代官」になったのを皮切りに、藩内のお寺や神社を管理する「寺社方(じしゃかた)」も兼任。長崎警備を命じられた時には「自分は警備については不案内です。事前に現地で状況を把握する必要があります」と言って、20日間の休暇願を出しているくらい、とにかく真面目なんです。やがて藩政の中枢に参画した半九郎は、藩校である弘道館のお世話係も担います。さらに税収を扱う御蔵方頭人(おくらかたとうにん)の兼務を命じられた時には、流石にこう漏らします。「数々の役、相兼ね候ては、なおさら御用弁仕らず、心痛至極に御坐候」と言って、勘弁して欲しいと願い出ているんですね。
マスター:いつの世も、できる人には仕事がまわって来るものなんですね。
富田さん:
そうですね。続いて半九郎は「大目付役」に就任。翌年には県産品奨励のための「国産方(こくさんかた)」の仕事も命じられ、財政が混乱していた鹿島藩の立て直し役にもなるんです。
マスター:忙しすぎですね。
富田さん:いえいえ、築地反射炉の築造が始まるその翌年からが本番です。
マスター:えぇっ!?
富田さん:
半九郎は「増築方」という、大砲や砲台の整備事業を担うとともに、警備の方法について福岡藩や長崎奉行との交渉役にもなります。そして翌年1853年、浦賀沖にペリーが来航します。
マスター:ペリー来航と、半九郎が何か関係あるんですか?
富田さん:
この時半九郎は「アメリカ船が、当時唯一外国との窓口になっていた長崎に向かう可能性がある。しかも蒸気船なので足が速いはず」と考え、すぐに長崎に出張しています。結局、ペリーが長崎に来ないことが分かって佐賀に戻った数日後、今度はロシア船が開国を求めて長崎に来航します。半九郎は「不測の事態が起きるとすれば、ロシア船が入港した直後。であるなら、船を砲撃する機会はきょうか明日しかない。万が一遅れをとれば、武士の名折れである」と日記に記しています。最新の西洋式砲台を築造していた佐賀藩ですが、警備にあたる半九郎のモチベーションは…
マスター:古風な「武士道」だったわけですね。
富田さん:
そうなんです。さらに、ここからまたすごいんです。出張命令を受けた半九郎は「船」で長崎に移動します。鉄道もバスもなかった当時、佐賀から長崎まで、陸路で行くと2~3日を要していました。そこで彼は、有明海に出て、船で諫早へ上陸。そこから陸路を使い佐賀~長崎間を、なんと23時間で移動したんです。
マスター:へぇ~。本当、すごい人だったんですね。
富田さん:
そうですね。池田半九郎はあまり有名ではありませんが、大事なポストをいくつも兼任した重要人物だったんです。幕末佐賀藩の人材の層の厚さを感じさせますよね。マスターにも、優秀なアシスタントが付くといいですね。じゃあ、ご馳走様でした。
マスター:
ありがとうございました。さてと、来年の年賀状の準備を続けますかね。それにしても、半九郎のようなできる人材がいたら、シッポをふって付いて行くんですがねぇ。