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維新の「志」コンテンツコレクション

シーズン3 第23回 直正公の主治医「大石良英(おおいし・りょうえい)」

2017年12月13日放送

 

富田さん:こんばんは~、マスター。

マスター:(モグモグ)やぁ、富田さん。(飲み込む音)いらっしゃい。

富田さん:
おや!?お食事中でしたか?かつ丼大盛りですね。ごゆっくりどうぞ。僕は、新聞でも読んでいますから・・・って、もう食べ終わっちゃったんですか?

マスター:ハハハ。いやぁ、ゆっくり食べていると、兄に狙われるという子供の頃からの癖で・・・。

富田さん:
う~ん。早食いは、体に良くないですよ。そうだ!きょうは、直正公の主治医として、治療のみならず生活習慣まで管理していたお医者さん・大石良英を紹介しましょう。

マスター:ほぅ、お願いいたします。

富田さん:
大石良英は、白石(しらいし)鍋島家という、今のみやき町に本拠地を持っていた重臣の家臣だったんですが、その学力と技術力の高さ、そして温厚な人柄が評価され、直正公が三十路を迎えた頃、主治医に採用されます。大石は特に蘭学に長けていて、医者でありながら侍の身分に召し抱えられました。これは、佐賀藩では神埼出身の伊東玄朴(いとうげんぼく)に次いで、良英が2人目のケースです。そして玄朴は江戸で、良英は佐賀で、それぞれ活躍することになるんです。

マスター:例えばどんなことをしたんですか?

富田さん:
はい、直正公が、天然痘予防のための種痘を広めた時、ご自身のお子様たちにも種痘を接種しているんですが、江戸にいた可愛い長女・貢姫さんに接種したのが伊東玄朴。佐賀にいた大事な跡取り息子・直大公に摂取したのが大石良英でした。

マスター:蘭学を得意としていた良英、他にどんな働きをしたんですか?

富田さん:
例えば、反射炉の建造が始まった頃、藩では、西洋式の大砲や弾薬も製造します。すると、軍隊の練習も洋式で行わないといけませんから、佐賀藩では、その基礎となる西洋の学問などを学ぶ蘭学寮を、今の八幡小路に作ります。当時の蘭学は、とくに医療分野で先進的に導入されていましたから、良英は、蘭学寮と同じ敷地内に住んで、西洋医学を教えました。これが発展して、現在の(県立病院)好生館として整備されていくんですね。

マスター:幕末佐賀藩にとって、ほんと貴重な人材だったんですね。

富田さん:
えぇ。さて、40代後半を迎えて、体調を崩しがちだった直正公。50歳になった年の年末には、風邪をこじらせて高熱を出し、一時は命にかかわるほどの危篤状態になりましたが、良英の治療で一命を取りとめています。その後、危険な状態は脱したものの、直正公は胃腸が弱ったまま。もとから直正公は、どちらかというと神経質でせっかちなタイプ。

マスター:確か、青年期に精神的にまいってしまったこともありましたよね。

富田さん:
はい。また、お食事も早食いで、お一人で黙々と召し上ることが多かったと伝えられているんです。そこで良英はこうアドバイスします。「食べ物はしっかり噛んで、飲み込むようにして下さい。もしくは、人と話をしながらでしたら、ゆっくり食べられますよ」と。

マスター:何だか子どものしつけみたいですね。

富田さん:
えぇ。でも結局、おかわりの時を待つ時間だけ話をする程度で、箸を手にしている間の早食いは変わりませんでした。そこで良英が「いやいや、そうではなくて、食べ物をしっかり噛みながらお話をなさって下さい」と言うと、直正公は「良英の言う食事の仕方は、甚だむずかし」、こう漏らします。

マスター:直正公の早食いには、良英もほんと手を焼いたんですね。

富田さん:
えぇ。また当時、直正公に供される魚や鶏肉は、基本的に骨なしなんです。つまりお肉部分だけが出されていたんですね。そこで良英は、骨や皮からこそ栄養が沁み出るのだからと、調理係に改善を求めたりもしています。また直正公は、サツマイモ・里いも・かぼちゃなんかが大好物。甘いものにも、目がなかったもんですから虫歯も多いんです。それに、極上の嬉野茶を沸かして渋~くして苦いのを飲むのがお好き。こんな直正公の食生活の改善にも心血を注いだのが、大石良英でした。マスターも、健康のためにもよく噛んで、ゆっくり食べた方がいいですよ。・・・って今度はカツカレー特盛を食べてるし!もう、知りませんよ。

マスター:
ああ、富田さん…。(飲み込む音)ありがとうございました。お!Wカップ焼きそばのお湯も沸きましたよ~。