シーズン3 第24回 直正公の継室「筆姫(ふでひめ)」前編
2017年12月20日放送
富田さん:こんばんは~。マスター。
マスター:やぁ、富田さん。いらっしゃい。
富田さん:おや? お手紙ですか?
マスター:
えぇ。最近気になっているアイドルにファンレターを出そうと思うんですが、何せ親子ほど年が離れているもんで・・・。
富田さん:
まぁ、愛おしく思う気持ちに、年の差は関係ありませんよ。じゃあ、きょうは、直正公とは年の差カップルになった再婚相手・筆姫さまを紹介しましょう。
マスター:お願いします。
富田さん:
直正公の最初の結婚相手だった盛姫さまは、若くして37歳で病のため亡くなります。その盛姫さまの病没から間もない頃、江戸城に登った直正公は、越前つまり福井藩主の松平春嶽公と席を同じくします。そして、越前さまにこう話しかけます。マスター、直正役をお願いします。
マスター:
え!?あ、あぁ、分かりました。「越前さま、ちょっとお尋ねです。ご実家・田安(たやす)徳川家にお姫さまはおられますか?」
富田さん:「えぇ、柳川藩主立花家に嫁いでいる姉と、それから妹も一人います。ま、妹の方は、まだ独身ですけど」
マスター:(直正公)「その妹さんのお年は?」
富田さん:(春嶽公)「18ですが」
マスター:(直正公)「ビジュアルは?」
富田さん:(春嶽公)「まぁ人並みです。ただ性格は温和で、物を書くことが好きですよ」
マスター:(直正公)「ぜひ、私の妻にください!」・・・って、唐突ですね。
富田さん:
えぇ。最初の正室・盛姫さまとの縁談が持ち上がったのは、直正公が3歳の時で、お家の方で勝手に決めた感じでしたので・・・。
マスター:再婚相手探しには、直正公自身が前のめりになっていたんですね。
富田さん:
えぇ。やがて実家の田安徳川家や本家、つまり徳川将軍家からも認められて、直正公は16歳年下の筆姫さまと再婚することになりました。筆姫さまが嫁いできたのは、現在の日比谷公園にあった佐賀藩の上屋敷。そこには、盛姫さまの元で養育されていた長女・9歳になった貢姫さんがいました。盛姫さまが37歳で亡くなったその年のうちに、今度は18歳という、めっぽう若いお母さんと一緒に住むことになったんですね。
マスター:貢姫さんは、ちょっと複雑な心境だったでしょうね。
富田さん:
えぇ。ただ筆姫さまのことは、お母さんというよりも、むしろちょっと年の離れた、頼れるお姉さん的な存在だったかもしれませんね。
マスター:うん。
富田さん:
さて、越前様こと松平春嶽公と、直正公のお姉さんが嫁いでいる宇和島藩主・伊達宗城(むねなり)公は、ともに水戸の徳川斉昭(なりあき)公と気の合う仲でした。そこで、越前松平と伊達のお二人が間をとりもって、徳川斉昭公のお子さんの結婚の面倒をみたと言われているんですが、そのお相手が、実は貢姫さんなんです。
マスター:「縁は異なもの」ですね~。
富田さん:
そうですね。やがて江戸の治安の悪化や参勤交代の制度改革などによって、従来は江戸屋敷在住が原則だった藩主の正室が帰国してよいという規制緩和が行われます。筆姫さまも例に漏れず、佐賀城に引越すこととなりました。34歳にして生まれて初めての佐賀入り。というか、田安徳川家のご出身ですから、たぶん江戸を出たことすら1度もなかったと思います。
マスター:住み慣れた江戸を離れるのは寂しかったでしょうね。
富田さん:
えぇ。そこで筆姫さまの「せめて、江戸の桜の花を見ながら移動したい」というご希望で、旧暦の2月下旬、今の暦だと4月上旬に江戸を出発して、東海道五十三次から山陽道を通って、約1ヵ月半後、無事に佐賀城に到着しました。ちょうど同じ時期に、貢姫さんも嫁ぎ先の江戸の川越藩邸から、国元の川越に引っ越します。マスター、川越での貢姫さんの様子、覚えてますか?
マスター:確か、なかなか馴染めなかった?
富田さん:
そう!それで直正公は励ましの手紙を頻繁に送っていましたよね。その一方で、実は佐賀に来た筆姫さまには、もっと大きな問題が待ち受けていたんです。あ、もうこんな時間だ。続きはまた今度!
マスター:えぇ~!気になる~。そうだ!来週にはお話の続きが聴けるように、サンタさんにお願いしよう!