シーズン3 第4回 直正公に嫁いだ将軍の娘「盛姫(もりひめ)」
2017年8月2日放送
富田さん:こんばんは~。マスター。あれ!? 読書中でしたか? 写真集ですか?
マスター:
ああ~、富田さん。いえね、世話好きな親戚のおばさんが、お見合い写真を持って来てですね~。どなたも申し分ないんですが、私なんかとは、釣り合わないと思うんですよね~。あ、富田さん、見ます?
富田さん:(心の声)ん?「よい子の動物図鑑」・・・。何かが間違っているような…。
マスター:あ、富田さん、直正公をとりまく人物、きょうはどなたを紹介してくれるんですか?
富田さん:えぇ。タイムリーと言えばタイムリーですが、きょうは直正公に嫁いだ女性「盛姫」さまです。
マスター:これは興味深いですね~。「良家のお嬢様」だったんでしょうね。
富田さん:
えぇ。盛姫様は、11代将軍・徳川家斉(いえなり)公の娘さんでした。家斉公のお子様は50人以上いて、姫君があちこちの大名家に嫁ぐんですが、そのお一人で、特に家斉公の愛情が深かったのが、盛姫さまでした。結婚式が挙行されたのは、直正公が12歳の時。盛姫さまは3歳年上の姉さん女房だったんですね。
マスター:年上だとしても、お若いですね~。
富田さん:最初の縁談話が持ち上がったのは直正公3歳の時。そこから結婚まで約10年を経てようやく実現したんです。
マスター:将軍の姫君をお迎えするとなると、準備も大変だったんでしょうね~。
富田さん:
そうなんですよ。まず現在の日比谷公園にあった佐賀藩の上屋敷を増改築してお住まいをご用意。嫁入り道具も膨大で、例えば、大きな長持だけで140棹。
マスター:ほぅ~。
富田さん:
当然1度では運びきれませんので、1日2回を3日間、合計6回に分けて運び込まれるほどの量でした。
マスター:そんなに大がかりだと、夫婦生活も大変だったんじゃないですか?
富田さん:
確かに、同じ邸内とはいえ、お住まいは隔たっていたんですが、新婚夫婦はちゃんと3度の食事も一緒に召し上がったり、盛姫さまの誕生パーティーには、別の屋敷に住んでいた直正公のお母さまも御祝いに駆けつけるなど、嫁姑関係も良好だったようなんですね。
マスター:いいお話ですね~。
富田さん:
そんな中、結婚の翌年、直正公は初めて鎧を着る「鎧召し初め」という儀式を行います。この時用いられた鎧が、あの藩祖・鍋島直茂公がかつて着用したという由緒ある鎧だったんです。わざわざ佐賀から江戸まで運び込んで、儀式が執り行われました。この時盛姫さまは、直正公との子宝に恵まれますようにとの願いを込めて、ご先祖様の鎧に向かって跪いて、手を合わせて拝んで敬意を表されたそうです。これを見た周囲の人たちは、将軍様の姫君でありながら、もはや外様大名鍋島家の婦人になったことを自覚されて、直茂公の鎧にここまで敬意を払われるとは、とその人格に感じ入った、というエピソードが残っているんですね。
マスター:それはきっと、鍋島家の皆さんは嬉しかったでしょうね。
富田さん:
また、直正公が藩主になって6年目、不幸なことに佐賀城が火災で焼失して再建費用の工面が課題になります。この時、盛姫さまはご実家の徳川家と交渉して、2万両という大金を幕府から借りることを成功させたりと、徳川家と鍋島家の間を取り持つ重要な役割を果たされたんですね。
マスター:影となり、日なたとなり、ご主人の直正公を支えた、素晴らしい奥様だったんですね。
富田さん:
ただ、そんな盛姫さまなんですが、37歳の若さで病のため亡くなります。そのお墓に経歴を記す文章を書いたのが、あのマルチな文化人であり、直正公の側近の古川松根だったんです。奥様を亡くした直正公には、早くも次の縁談話が舞い込みます。お相手は筆姫さまという方。この二人がどのようにして結ばれたのかは、また時期がきたらお話しますね。あぁ、マスター、おせっかいかも知れませんが、その写真の縁談話、もうちょっと考え直した方がいいと思いますよ。じゃあ、ご馳走様でした。
マスター:
ありがとうございました~。そうですよねぇ。せっかく愛し合っても、先立たれると辛いでしょうね~。ん?この方なんかどうだろう?「ガラパゴスゾウガメ」。寿命100年以上・・・。うん、彼女とだったら、長く付き合えそうですねぇ。