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維新の「志」コンテンツコレクション

シーズン3 第5回 直正公の師匠「古賀穀堂(こが・こくどう)」前編

2017年8月9日放送

 

富田さん:こんばんは~、マスター。あれ?何のハガキですか?

マスター:
あぁ~、富田さん、いらっしゃい。毎年、お盆の時期に同窓会がありましてね。その招待状です。同級生もなんですが、当時の先生方に会えるのも楽しみなんですよね~。

富田さん:なるほど。では、きょうは直正公の師匠とも言える人物を紹介しましょう。

マスター:お願いします。

富田さん:
直正公は学齢期に入ると、次第に磯濱さんたち女性陣の手を離れて、男性の先生たちによる文武両道の教育を受ける段階に入ります。

マスター:う~ん。

富田さん:直正公に6歳の頃から家庭教師役として付いた人物が、今回の主人公、当代きっての儒学者、古賀穀堂先生です。

マスター:はいはい。

富田さん:
直正公は先生から教わる儒教のテキストなどもよくのみ込んで、漢詩も詠み、書道の腕前もグングン上達。16歳になった時、その成長ぶりについて穀堂先生は、佐賀にいた多久出身の学者・草場佩川(くさばはいせん)に宛てた手紙の中で、こう述べています。「先日、直正公にお目にかかったところ、話題が次第に佐賀藩の運営に関する大きな議論に発展し、大の大人も及ばないほどの御論弁をふるわれた。そして、佐賀藩のためならどんな倹約をも受け入れて、死んでも構わない覚悟であるという意志を表明された。このようなご様子であれば、今後よき補佐さえ付いたならば、歴史上の優れた藩主にも劣らないほどの名君になられることだろう」

マスター:私も子供の頃、よく言われていましたが、まさに「神童」ですね。

富田さん:
そして翌年、17歳にして10代佐賀藩主になった直正公は、生まれて初めて佐賀にお国入りをされます。もちろん、飛行機も新幹線もない時代でしたから、江戸から佐賀まで、およそ1ヵ月ちょっとの行程でした。長期にわたる大移動の最後の宿泊地は、現在の鳥栖市にあった長崎街道の轟木宿(とどろきしゅく)。その轟木を早朝に出発して、直正公は自らの目で佐賀の人たちの様子を見たいと言って、駕篭(かご)から降りて馬にまたがって、佐賀城に向けて進みます。沿道の領民たちは、新しい藩主のお姿を目にして、手を合わせて拝む者さえいたと言われているんですね。お供していた穀堂先生は、その日記に、沿道から上がった歓声について「雷の如し」と記しているんですね。

マスター:すごい歓迎のされようですね。それで、直正公が藩主に就任した後、穀堂先生はどうされたんですか?

富田さん:
はい。先生は、藩主就任後も側近の代表格として藩政改革をバックアップしたんです。佐賀に入ってきて早速、改革に燃える直正公。佐賀城に藩の重臣たちを招集して、倹約に対する固い決意を語り聞かせます。「佐賀藩の財政再建のためならば、私自身どんな倹約であっても受け入れる覚悟ができています。あとは、あなた方重臣の誰もが気持ちを入れ替え、一致団結し、命をなげうって、しっかりと職責を果たしてほしいものです」

マスター:はぁ~、17歳といえば、今で言うまだまだ高校生・・・。そんな歳で、こんな難しいことを考えていたんですね~。

富田さん:
う~ん、確かに。17歳の青年の決意としては、まことに志の高い言葉でした。しかし、残念ながらこのお言葉、重臣たちの心には必ずしも響かなかったんです。重臣たちからしてみれば、初めて佐賀に来た17歳の若いお殿様から、「私はもう覚悟ができているんだから、あとはあなた方がしっかりやってもらわないと困るんだ!」と言われたんですから、それはやはり、なかなか素直にはなれないでしょう。

マスター:なるほど。

富田さん:
藩主と重臣の間に、温度差が生まれてしまうんですね。若いゆえに直正公は、重臣たちの心をうまくつかむことができずに、藩主生活は苦労の船出になったんですね。

マスター:それから、どうなったんですか?

富田さん:あっ、いけない!もうこんな時間だ!英会話教室に行かないと!

マスター:えぇ~!!これから面白くなるのに!!

富田さん:すみません、マスター。続きはまた来週ということで、ご馳走様。See you next week,master!

マスター:
ありがとうございました~。さりげなく英語を使うあたり、きっと富田さんも、いい先生に就いてもらっているんでしょうね~。