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維新の「志」コンテンツコレクション

シーズン3 第7回 穀堂が後継者として期待「永山十兵衛(ながやま・じゅうべえ)」前編

2017年8月23日放送

 

富田さん:こんばんは~、マスター。(返事がない)ん?マスター!?

マスター:あぁ、富田さん。いらっしゃい。

富田さん:また考えごとですか?

マスター:
先週、高校の同窓会に行ってきたんですが、もうみんないい歳になっていまして「そろそろ一線から引退を」とか言っている奴もいましてね。私も、この店を誰かに託そうかな~なんて考えていたんですよ。

富田さん:
う~ん。まぁ、確かに「引き際」ってありますからね。そうだ!きょうは、あの古賀穀堂先生が後継者として期待をかけていた「永山十兵衛」という人物を紹介しましょう。

マスター:穀堂先生というと、直正公が「師匠」とあがめていた人ですよね。

富田さん:
そうです。直正公が藩主になって間もなく、家臣との擦れ違いに悩んでいた時、穀堂先生が色々なアドバイスをしてくれましたよね。

マスター:ええ。

富田さん:
この時、周りの役人たちの中には「直正公は19歳という、まだ若いお殿様なんだから、側室を付けてあげればいいのでは」と、提案する者もいました。これを知った穀堂先生は「彼ら役人は、何も分かっていない」と嘆いたんです。側室を付けるようなことでは、何の解決にもならないと判断したんですね。ところが穀堂先生は、直正公と常日頃から一緒に生活を送っているわけではありません。そこで、穀堂先生が期待をかけたのが、永山十兵衛だったんです。

マスター:ほぅ。

富田さん:
永山はこの頃、直正公のそばで小姓(こしょう)というお世話係をしていました。そこで穀堂先生は、永山に「側室を付けることを、ぜひ阻止してくれと」頼みます。

マスター:うん。

富田さん:
永山は直正公と話をして、その結果を早速翌日、穀堂先生に報告。「ご安心ください。直正公の意志は鉄のように固いものでした」と。つまり、側室はとらないという直正公の考え方を確認したんです。

マスター:なるほど。

富田さん:
また直正公の心の健康を保つため、気持ちを落ち着ける呼吸法まで穀堂先生と一緒に協議して、直正公にアドバイスしたと言われているんですね。直正公はお部屋でお香を焚いて、静かに座し、精神の修養に努めるなど、永山たちと一緒に苦難の時期を乗り切ろうとしたんです。

マスター:今で言う「セラピスト」の役割も担っていたということですね。

富田さん:
そうですね。さらに、永山の素晴らしい働きは続きます。江戸への参勤交代のメンバーに、あの穀堂先生さえも入れてもらうことができない中、永山はお供できることになったんです。

マスター:うん。

富田さん:
そこで、穀堂先生は直正公を江戸にお見送りするにあたって、自らの想いを認(したた)め、永山に託します。その文章とは「古へより、名君というものは、必ずや困難に遭遇するもの。その困難を経たのちに、才能を発揮できるものです。焦る必要はありません」というものでした。

マスター:う~ん、染みますね~。

富田さん:
さて、直正公が藩主になって6年目、佐賀城が火災に遭った直後に人事改革が行われました。この時、穀堂先生は藩校・弘道館の教授心遣いとなり、同時に永山は、小姓と弘道館教諭の兼任を任されます。永山は「これを機に藩内の質素倹約をさらに強く推進しよう」と穀堂先生と一緒に協議をして、参勤交代の人数削減などを実行します。

マスター:へぇ~。

富田さん:
江戸の方では、あの盛姫さまが実家である徳川家と交渉して2万両を借りるとともに、さらに倹約を断行したことで、お城の再建費用を賄うことができたんですね。その翌年、永山は、重要事項を協議する御仕組所(おしくみしょ)という役所への参画も命じられ、直正公の右腕の一人として、さらに藩政改革を推進することになったんです。

マスター:直正公にとっても、穀堂先生にとっても、ますます永山十兵衛への期待が高まりますね。

富田さん:ところが、実に悲しい運命が、この三人を待ち受けていたんです。

マスター:えぇ!?どういうことですか?

富田さん:あ、いけない。もうこんな時間だ。じゃあマスター、続きはまた今度!

マスター:
ありがとうございました。富田さん、また一番いいところで帰っちゃいましたね~。永山のその後の話も気になりますから、来週も、この店と自宅の”長屋ま”でを往復しましょうかね~。