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維新の「志」コンテンツコレクション

シーズン3 第9回 直正公の兄「鍋島茂真(なべしま・しげまさ)」前編

2017年9月6日放送

 

富田さん:こんばんは~、マスター。

マスター:あぁ~、富田さん。いらっしゃい。

富田さん:おや?指折り数えて、何かの計算中でしたか?

マスター:
あはははは、えぇ。好物の「いかしゅうまい」を頂いたんですが、うちには兄がいましてね。何個ずつに分ければ喧嘩にならないか、考えていたんですよ。

富田さん:
(心の声)・・・って、2個しかないんですけど・・・。あ、そういえばマスター、直正公のご兄弟の人数って覚えていますか?

マスター:確か、すっごく多かったですよね?

富田さん:
そう、46人。直正公はその17番目の男子でした。姉や妹たちは他の家に嫁ぎますが、じゃあ兄弟たちはどうなったと思います?

マスター:藩主となる人物は一人でいいわけですから・・・。

富田さん:そう、残りの男子は「養子」に出るんです。

マスター:なるほど。

富田さん:
藩内の重臣の家と養子縁組を結ぶパターンがほとんどでした。そのお一人が、今日の主人公、直正公より1歳年上のお兄さん・鍋島茂真です。年上ではありますが、側室の子どもだったため、養子に出て「須古鍋島家」の当主になりました。

マスター:須古鍋島家?

富田さん:
えぇ。「須古ずし」というおいしい押し寿司が有名な杵島郡白石町の須古を本拠地とする重臣です。戦国時代の龍造寺隆信公の弟信周(のぶかね)から始まるという由緒あるお家柄なんです。直正公の兄・茂真は、幼少期から藩校・弘道館に通って勉学に励んでいて、その学力の高さには定評があったようなんです。直正公は、藩主就任3年目、人材育成にとって大切な弘道館の責任者に茂真を任命します。

マスター:それだけ信頼していたんでしょうね。

富田さん:
はい。ところが直正公が藩主に就任して6年目、佐賀城二の丸が火災のため焼失します。直正公は、この窮地にあたり、当時江戸にいたお父上に、こうお手紙を書きます。「今までは色んなことを事前に相談してきましたが、このたびは火災という非常事態ですから、事前相談はせず、事後報告をすることにします」と。つまり現場判断・自分主導で政治を進めていくことを父親に宣言したんです。そして、その2日後、直正公は藩内の行政トップにあたる請役当役(うけやくとうやく)という役職を交代させる電撃的な人事を行います。新しいトップとなったのが、兄・鍋島茂真でした。

マスター:周りの反応はどうだったんでしょうか?

富田さん:
えぇ。この電撃人事を耳にしたあの古賀穀堂先生は、茂真が学問を重視する人物だったことなどから、その日の日記に「喜ぶべし」と書いています。そして直正公は茂真にこう伝えます「弘道館を益々発展させ、よき人材を輩出して欲しい。しかし従来の教授陣では、教育が十分には行き届かないだろうから、多久の草場佩川(くさばはいせん)を雇い入れて、教員に命ずることにした」と。つまり、火災という不慮の事故をきっかけに、行政トップを交代して、弘道館も充実させ、直正公は、ピンチをチャンスに変えたんですね。

マスター:そして、その大きな原動力の一つになったのが、兄・茂真だったんですね。

富田さん:
はい。実はこの茂真のほかにも、多くの兄弟が鹿島鍋島家や神代家(くましろけ)、太田鍋島家などの重臣の家を継いでいます。花見のシーズンには、兄弟たちが集まって、直正公とともに水入らずで酒を酌み交わすこともありました。

マスター:兄弟、仲が良かったんですね。

富田さん:
えぇ。特に、その重臣の中に、右腕とも言える兄がいたことは直正公にとって幸せだったでしょうね。あ、もうこんな時間だ!ということで、続きはまた今度。マスター、ご馳走様でした。

マスター:
ありがとうございました。またまた、話の続きは来週に持ち越しですね。今夜は早めに店じまいをして、レンコンのきんぴらをつまみに、ビールでも飲みながら、首を長~くして待ちましょうかね。